昨年のFIFAワールドカップ(W杯)カタール大会の日本代表MF鎌田大地(26)の母校、東山(京都)は岡山学芸館に1-3で敗れ、初優勝はならなかった。

東山で監督就任17年目の福重良一監督(51)は試合後、「今年の3年生はコロナ禍で入学式も修学旅行もできず、十分な高校生活ができなかった。最後の高校生活最後の大会を、実施してくださった方に感謝しています」と涙ながらに語った。

その上で、「負けたことは監督の責任。彼らは日本一を目指して全力で戦ってくれた。今日の敗戦も必死に力を出そうとやってくれた。ねぎらいたい」とイレブンを称えた。

悲願達成はならなかったが、これまでの全国大会最高成績(18年の夏の全国総体でのベスト4)を超え“新しい景色”への扉を開いた。

福重監督は、指導者であると同時に、根っからの教育者だ。京都サンガ、大塚製薬などでプレー。引退後の97年に故郷・和歌山の初芝橋本高で指導者生活をスタートさせた。

サガン鳥栖の金明輝前監督(現J2町田コーチ)は当時の教え子だ。同校の方針なども鑑み、よりサッカー部の強化に力を入れる新天地を模索した。

Jリーグの下部組織から、コーチのオファーもあったが「高校サッカーで人を育てたい。高校サッカー選手権で日本一になりたい」と高校での指導にこだわった。

古巣の京都サンガの関係者から「東山がサッカー部を強化するので来ないか?」と誘いを受けたことを機に、06年に東山の監督に就任した。

高校にこだわる理由をこう語る。

「学校生活で彼らの恋愛、授業、修学旅行などの学校行事も含めてサッカーを通して育てたい。同時に、それと同じぐらい、雑草をちゃんと育ててあげたい。高校生はユース(Jの下部組織)に上がれない子が来ている。それを何とか、トップチームに送ることが指導者としての最大の魅力です」

実際、日本代表MF鎌田はガンバ大阪でユースに昇格できず東山でプレーした。そこからJリーグ、ブンデスリーガで活躍し、昨季は欧州リーグを制するまでに、ステップアップし、日本代表の主軸になった。

今回のチームは、12人が中学時代にJの下部組織でプレーしていた。昇格できなかったが、たくましい「雑草」が、決勝のピッチにたどり着いた。

指導者としてのモットーはサッカーを通しての人間教育。「サッカーで人間性なんて、という人もいるかもしれない。でも、僕自身はこだわりを持って指導している。そこの軸はぶれずにやっていきたい」と言い切る。

鎌田がW杯カタール大会でPK戦の末に敗れたクロアチア戦後「自分を犠牲にしてチームのためにやろうという感覚がしたのは高校サッカー以来」とコメントしたことは記憶に新しい。サッカーを通しての人間教育が出た証の1つともいえる。

福重監督はコロナ禍前の18年、鎌田のプレーを見にドイツを訪れた(当時はアイントラハト・フランクフルト所属)。そこで目にしたのは、倒れているペットボトルを立て直す鎌田の姿だった。今でも、高校生にずっと変わらず常に言い聞かせているのは「ペットボトルは立っている方が取りやすい。そういう気遣いを持てる余裕がない選手に、いい選手はいない」というもの。

そんな教え子、鎌田の姿に、福重監督は「彼が意識していたかは別にして、Jリーグやフランクフルトで鎌田がペットボトルを立て直す姿を見て、頭の片隅に入っているんだなと。それが人間性につながっていると思う。そういうことにこだわって指導をしていて。彼はそれを実践してくれている。そういうところから、しんどい時に逃げずにできるのかなと思っています」とも話す。

指導者としての転機は、鎌田がまだ1年生だった12年度だった。夏の全国総体にも出場し「選手権でも全国で上位に食い込める」と自信を持って鍛え上げた年度だった。だが、選手権の京都府大会で京都橘に決勝で敗れ全国切符を逃した。「これ以上何をすればいいんだ…」と落ち込んだ。敗戦によって出した結論は「今の子供たちに合った指導を考えないといけない」ということだった。

それまでは「1つのミスも許さない」「重箱の隅をつついて完璧にこなさせる」ことを念頭に、笑顔は一切封印し、練習からピリピリした緊張感をつくっていた。だが、敗戦を機に「失敗を許すこと」に方針を転換した。

「学校生活でも楽しいことはしっかり楽しんでもいい。ミスも失敗も許す。東山高校の途中からは笑顔が出てきたというか。生徒とフランクな関係を生徒と作り上げる場所が必要なんだなと感じました」。初芝橋本時代のOBからも「笑顔が増えましたね」と突っ込まれる。

指導者のスタート当時に掲げた「高校サッカー選手権で日本一になりたい」との目標には今回、あと1歩、及ばなかった。

ただ、今回のチームからは、まず、MF阪田澪哉がセレッソ大阪でプロとしてスタートを切る。鎌田に続き福重監督が育てた人間力あふれる人材が、日本サッカーの力になる日も、近い。【岩田千代巳】