J1札幌の元日本代表MF小野伸二(44)がピッチに別れを告げた。

古巣浦和との現役ラストマッチに、J1リーグ戦では11年ぶりに先発出場。右腕にキャプテンマークを巻き、前半22分までプレーした。持ち味の軽いタッチのパスでチャンスメークするなど、最後まで天才の片りんを見せながら「永遠のサッカー小僧」として楽しんだ。ピッチを去る際は両チームの選手たちに花道を作られて送り出された。

3万1143人が見守った小野のプロサッカー選手としてのフィナーレ。真剣勝負のほんの一瞬、札幌ドームは温かな空気に包まれた。小野の交代が告げられると、札幌と浦和、両チームの選手が集まり花道を作った。大きな拍手で送り出されながら、笑顔でピッチを後にした。会見で「現役生活が終わったって実感はいつ来るのかな」と語った。明日からもう、痛みに耐えながらボールを蹴ることはない。だが歩んだプロ生活26シーズンの幕が下りた感覚は、まだない。

最後までテーマ「楽しむ」を貫いた。ペトロビッチ監督(66)が、愛するシンジのために用意した舞台。ゲームキャプテンとして、自身のキックオフでラストマッチがスタートした。左シャドーに入ってプレー。フェイエノールト時代に「ベルベットパス」の名前がついた優しいパスを披露。当初は15分でベンチに退くはずだった。交代のMFスパチョークはすでに準備完了。だが前半18分、小野のパスに走ったFW小柏が相手のイエローカードを誘い、FKを獲得。キッカーは背番号44。惜しくもクリアされるも見せ場を作り、同22分に交代した。

98年W杯フランス大会での日本代表最年少出場、02年UEFAカップ制覇、世界が認めた。ただ、99年シドニー五輪アジア1次予選フィリピン戦での左膝内側側副靱帯(じんたい)断裂の大ケガは、もしあの時…と、誰もが勝手に無念がる。14年に当時J2の札幌に加入後もケガに悩み続けた。J1リーグ戦の先発は清水時代の12年以来11年ぶり。ラストイヤーは練習も満足にできなかった。

それでも、誕生日の9月27日の引退表明後は、最後の勇姿を届けるために駆け抜けた。「たくさんのケガもありながら、たくさんの人に支えられて今日を迎えられたことの方が、幸せは強い」。たらればも後悔もない。出し切った。

伸二スマイルが一瞬消えたのは、引退セレモニーで10月17日に79歳で亡くなった母栄子さんへのメッセージを口にした時だけ。10人きょうだいの6番目は、母の乳がんの手術痕を見て中学2年でプロサッカー選手になると決意した。「今日という日を見せたかった」と、天国へ思いをはせた。

これからも大好きなサッカーと第2の人生を歩む。「まだ僕のサッカー人生が終わるわけじゃない。これからも違う形でやっていきたい」。ユニホームは脱ぐが、スパイクは履き続ける。【保坂果那】

<一問一答>

-試合を振り返って

「(0-2と敗れ)結果が出なかったことに対して責任を感じている。ただ、こういう大事なゲームの中でミシャ監督には、試合に関して勝つためのプランがあったにもかかわらず、20分という短い時間でピッチに立たせてもらったことは感謝している」

-浦和の選手も花道

「日本のサッカー文化の中で、ああいう形で見送られるシーンっていうのは見たことがなかった。幸せな瞬間だった」

-自身にとってサッカーとは

「自分が自分らしくいられる時間だった。サッカーを通じてたくさんの方に出会えて、自分という人間が成長できたと思っている」

-引退後は

「今はおなかがすいたのでご飯を食べたいということくらいだけ。明日を迎えられたらいろんなことが始まると思う」