日本代表として3大会連続でワールドカップ(W杯)に出場した本田圭佑(33=ボタフォゴ)は、強烈なリーダーシップを発揮しながら世界の頂点を目指してきました。時には言葉で仲間や、世論を動かしながら「W杯優勝」を公言。日刊スポーツでは密着取材を続けてきた元担当記者が「本田の名言 トップ10」を独断と偏見で選出。その発言の背景を振り返ります。第8回は3位、“けがの功名”どころか、大けがさえも前向きにとらえる思考です。

  ◇   ◇   ◇

「オレにとってはけがしたことが成功だった。けがしたことで世界一に近づいたと思っている」

 

けがに強く、“無事之名馬”を体現する本田だが、大けがで長期離脱したこともある。

ロシアのCSKAモスクワ在籍時。当時、まだ硬い人工芝だったルジニキ・スタジアムでの試合中に右膝を痛めた。

2010年のW杯南アフリカ大会で活躍し、年が明け、11年になると、日本代表をけん引しアジア杯も制し、大会MVPにも輝いた。その年の6月に25歳になり、乗りに乗っていた。そんなタイミングでアクシデントに見舞われる。

8月末のリーグ戦で負傷交代。右膝半月板損傷の大けがで、バルセロナに渡り、名医の執刀で手術。その後、リハビリを終え復帰間近だった11月、モスクワで日刊スポーツの取材に応じ、次のように述べた。

「もちろん意図してけがしようとする人はいない。でも、オレにとってはけがしたことが成功だった。けがしたことで世界一に近づいたと思っている」

結局、1度は復帰したが、その後再離脱し、完全に戦列に戻るのに、約9カ月を要した。その間、ずっと移籍を狙っていたレアル・マドリードとの欧州チャンピオンズリーグでのアウェー戦も欠場。レアルの本拠地で名を売るチャンスもふいにした。

マイナスばかりのようにみえるが、転んでもただでは起きない。けがから学び、強くなって戻り、確かにある程度の「成功」を手にした。

代表復帰を果たした12年5月には「オレは常に前進している。(右膝を)手術したことでその時点から新たな本田になり得た。前の本田には戻る気もない。新しい本田を、ここから作っていく」と生まれ変わりを宣言した。

けがの癒えたニュー本田は、その後のW杯ブラジル大会のアジア最終予選序盤3試合で4得点と大爆発した。

目の前のハードルを乗り越え、成長しながら、形をかえていく生き方がまた、興味深い。

サッカー選手でありながら、現在は実質的なカンボジア代表チームの監督に加え、投資家や起業家としても積極的に活動している。

ツイッターの自己紹介欄には「A challenger」と書いてある。堂々と「挑戦者」を自称する人間は、そうはいない。けがをしたことさえ「成功」と言い切る人物も、あまり聞いたことがない。

この、まねのできない思考が、もしかしたら、ある程度の成功のカギなのかもしれない。(続く)