サッカーの元アルゼンチン代表の英雄ディエゴ・マラドーナ氏が60歳で亡くなり、元日本代表FWの松本育夫氏(79)が26日、日刊スポーツの取材に応じ、哀悼の意を示した。松本氏は日本サッカー界では「マラドーナを最も知る男」として有名だった。

「あんな選手は100年たっても誕生しない。指導者がつくろうとして、つくれる選手ではない。強烈な個性と技。まだ60歳、若くして亡くなったのは、サッカー界としては悔やまれることです」

最初の出会いは、1979年の日本開催となった第2回ワールドユース。松本氏は尾崎加寿夫、風間八宏、水沼貴史らを率いる日本代表監督だった。1次リーグで日本は敗退。別の組だったアルゼンチンは、マラドーナ氏の計6得点などの活躍で世界一になった。

「あれは1次リーグで日本を敗退させた僕の能力不足に尽きる。決勝トーナメントに(2位突破で)出ていれば、アルゼンチンと対戦できたのに…。対戦していれば、大きな財産になっていたはずなんです」

実際にワールドユースのソ連との決勝や、その後のワールドカップ(W杯)を含め、松本氏は10試合ほどマラドーナ氏のプレーを会場で見たという。

「16歳でアルゼンチン代表に入った青年が、まさか18歳でワールドユースで来日するとはね。実際に日本で試合を見て、そりゃびっくりしたよ。ドリブルで仕掛けながら、わざと相手にボールを取りにこさせるんだ。するとサッとかわし、スライディングにきた相手を飛び越し、着地したその足でボールタッチして再び走りだすんだからね」

86年W杯メキシコ大会では、NHKの解説者として「神の手」「5人抜き」を現地の放送席で見た。90年イタリア大会が最後に現地で見たプレーになった。

「神様ペレは基本に忠実で正統派のスター。マラドーナは身長170センチもないのにトリッキーな技で勝負するスター。技術で相手守備にボールを触らせないんだから。後年、彼の私生活をコントロールできる人がいれば、もっと長生きできたと思う。裸の王様になってしまったのかな…。本当に残念で、お悔やみを申し上げます」 【横田和幸】