もし、日本でJリーグ入りできたとしても、絶対に体験できない「日常」が欧州にはある。厳しいようだが、これがサッカー界の現実だ。

アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)に出ても、対戦できるのはアジアの強豪クラブだけ。優勝してようやく、クラブワールドカップで、欧州や南米の王者と対戦できるかもしれない。

海外組が増え、日本と欧州の距離が近くなったようにも思える。だが、思い切って海を渡らなければ、絶対に埋められない「距離」がある。

 

12月、日本人選手2人がスペイン1部リーグのセルタと対戦するチャンスをつかんだ。

ビリャレアルの久保建英や、エイバルの乾貴士、武藤嘉紀、ウエスカの岡崎慎司ではない。

無名の2人の若者だ。

伝統のスペイン国王杯1回戦で12月17日に4部相当のジャネーラが、セルタに挑む。

ジャネーラは元スペイン代表で、ヴィッセル神戸でもプレーしたFWダビド・ビジャ氏が経営に参画するクラブ。

この夏、日本で海外挑戦を後押しするトライアウトを実施。合格した2人が“助っ人”として加わった。

 

日本でビジャ氏に力を認められた2人の名は、桑原遥(22)と藤島樹騎也(24)。ともに攻撃的なMFで、これまでJリーグには縁がなかった。

スペイン国王杯の1回戦は56試合もあるが、いきなり1部のセルタとの対戦が決まり、チャンスが転がり込んできた。

桑原が「楽しみしかないですね」と目を輝かせれば、藤島は「小学校のころの夢が、スペインで活躍することでした。セルタ? あのセルタ? って感じです」とニヤニヤしっぱなし。2人とも、もう待ち切れないといった表情だった。

 

“ビジャが選んだ2人”として、9月に練習参加。現場でもその力を認められた。1度帰国し、ビザなどを取得し11月末に、再びスペインに渡った。

道を切り開いてくれたビジャ氏の言葉が2人の支えだ。2人は9月の練習参加中、オンラインでスペインのレジェンドと面談した。

桑原は東洋大4年。最終学年で関東大学2部リーグを大切な仲間と戦い、1部昇格を目指し、一丸となっていたところだった。「大学4年で、チームのこと、途中で抜けることが引っかかっていた」。

11月に本格的なスペイン行きを選べば、昇格を左右する東洋大の最後の戦いを見届けることもできず、プレーで貢献することもなく、チームを離れることになる。

正直、迷っていた。

 

そんな中、ビジャ氏から「幸せは、家のソファでテレビを見ていても、やってこない。常に外に出て、幸せを探しに行かなければ」と言われた。

待つのではなく、1歩踏み出す-。この言葉が決断の1つのきっかけになったという。

リーグ戦の最後の3試合を残して、ひとあし早く大学サッカーを“卒業”し、スペインでの勝負を選んだ。

 

藤島は石川・星稜高3年時の14年度、全国選手権のVメンバー。中京大卒業後、ドイツなどで海外挑戦したが、けがもあり、プロになる夢をかなえられないでいる。

このチャンスにかけている。贈られたのは、プロの神髄ともいえる言葉だった。

ビジャ氏からは「試合前と試合後の3時間だけ努力するのは誰にでもできる。それ以外の21時間、いろんな誘惑はあるが、その誘惑に打ち勝ち、すべてをサッカーにささげられるかどうか、それが大事」と説かれた。

藤島は「感動する言葉をもらった」と金言を胸に刻んだ。

24時間をサッカーに費やすと決めた。幸い、スペインで暮らす小さな小さな街は、30分ほど列車に揺られて出掛けなければスーパーもない。

サッカー漬けになることができる環境。「誘惑は一切ない。牛と会話するくらいしか、やることがないんです(笑い)」と藤島。牛と話すことができるかどうかは別にして、人生を切り開くラストチャンスだという覚悟がある。

 

支えてくれる人たちの気持ちにもこたえたい。

ビジャ氏の日本でのサッカースクール「DV7」のスポンサー企業、パワーワークの協力で、2人は一時帰国中も、働きながらトレーニングする環境を用意してもらった。

建設業に特化した求人媒体のパワーワークを運営するプロジェクト責任者、株式会社WINNERS営業部の吉野清太郎氏は「若いアスリートの夢を応援できることは、会社としてもうれしいこと」と言い、2人の相談に乗ったり、個人的にもサポートしている。

吉野氏自身が、千葉の名門・習志野高でレギュラーとして活躍した経験がある。兄貴分として、自分の夢も2人に託している。

 

1歩踏み出したものだけが、経験できることがある。サッカーの世界では、それが顕著だ。

サッカーの夢舞台はワールドカップ(W杯)であり、欧州チャンピオンズリーグ。W杯で勝つため、日本代表の選手たちは次々と欧州へと渡り、厳しい競争の場に身を置く。

2人はサッカー界ではまだ、個人としてほとんど実績を残せていないが、本気でプロの夢を追い続けている。

セルタとの対戦でアピールできれば、一気に夢をかなえることができるかもしれない。

 

「とにかく1つカテゴリーをあげたい。試合に出ることが大事」と、桑原は言う。より高いレベルでの戦いを求め、挑戦を続ける。

藤島は「毎試合結果を出すことが大事。活躍すれば、オファーが来ると思うので」。欧州の複数の国で挑戦してきた経験があるから、「結果」にこだわる。

ビジャ氏が日本でまいた種が、この冬、サッカーの本場、日本人選手をひきつける魅力を持ち続ける特別な地、スペインで芽を出すかもしれない。【八反誠】