20世紀のサッカー史を彩った西ドイツ代表のレジェンドで「皇帝」と称されたフランツ・ベッケンバウアーさんが7日に死去した。ドイツ・サッカー連盟が8日、発表した。78歳だった。死因は明かされていないが、近年は健康上の問題を抱えていた。突然の訃報に世界中の関係者から哀悼の意がささげられた。

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エレガントで紳士的な印象が強いが、ベッケンバウアーは「ゲルマン魂」そのものの闘士だった。

70年W杯メキシコ大会準決勝、イタリアとの「アステカの死闘」は後世まで語り継がれる名勝負。相手の激しいタックルに遭い、右肩を脱臼した。当時は選手交代が認められておらず、ベンチに下がることなく包帯で右肩をぐるぐる巻きにして戦った。延長戦の末に3-4と敗れたが、優勝したブラジルの王様ペレが輝いた大会にあって「英雄」として名をとどろかせた。

4年後の74年の地元開催のW杯。最後尾からチームを統率し、折を見て攻撃参加する「リベロ」として活躍した。ペレの「王様」に対抗するように、「カイザー(皇帝)」の異名を取った。クライフ率いるオランダとの決勝に勝利。「強い者が勝つのではない、勝ったものが強いのだ」。いみじくもこの言葉こそ、その選手像を表している。

3度のW杯出場で代表103試合14得点。バイエルン・ミュンヘンでは73~74年シーズンから欧州チャンピオンズカップ(現欧州チャンピオンズリーグ)を3連覇。72、76年の欧州年間最優秀選手に輝いた。その後に渡米し、ニューヨーク・コスモスではペレと一緒にプレー。国際サッカー連盟(FIFA)が選出した「20世紀最優秀選手賞」ではペレ、ディスティファノ、マラドーナに次ぐ4位。英ワールドサッカー誌でも4位に選出されている。

引退後も華々しい。監督として90年W杯イタリア大会でマラドーナを擁するアルゼンチンを破り、優勝した。選手、監督の両方でW杯を制したのは今月5日に亡くなったブラジルのザガロ、フランスのデシャン監督と合わせて3人のみだ。

Bミュンヘンを率いて国内外のタイトルを獲得し、クラブの会長も務めた。06年ドイツW杯では組織委員会会長として大会を成功させた。その一方で招致段階での買収疑惑で捜査対象になったが、不正は否定している。FIFAの理事を07年から10年まで務め、サッカー界の発展に貢献した。

英雄色を好むとはよく言ったもの。私生活ではペレと同じ3度の結婚生活を送った。そのペレとは親交が深く、22年12月末に先立った際にもSNSで「歴史上最も偉大な選手を失った」と追悼の意を示した。

クライフ、マラドーナ、ペレ…、そしてベッケンバウアーも。20世紀を彩った巨星たちがサッカーの惑星から姿を消した。【佐藤隆志】

◆フランツ・ベッケンバウアー 1945年9月11日、西ドイツ(現ドイツ)ミュンヘン生まれ。バイエルンなどでプレーし、73年から欧州チャンピオンズ杯(当時)3連覇。ブンデスリーガ5回、ドイツ杯4回優勝。MFからDFまでこなし、特にDFの位置から上がって攻撃を組み立てる「リベロ」として活躍した。代表ではW杯に3度出場し、66年準優勝、70年4強、74年優勝。72、76年には欧州最優秀選手にも輝いた。90年には監督としてW杯優勝。Bミュンヘン会長やドイツ協会副会長などを歴任、W杯ドイツ大会組織委員会の会長。国際サッカー連盟の理事も務めた。