【セビリア(スペイン)29日=渡辺佳彦】金の卵がついに、世界で産声を上げた。日本陸連の秘蔵っ子、市橋有里(21=住友VISA)が2時間27分2秒で銀メダルを獲得し、マラソン王国の座を死守した。38キロすぎからチョン・ソンオク(25=朝鮮民主主義人民共和国)と激しいデッドヒートを展開し、最後にかわされた。日本勢2大会連続3個目の金メダルは3秒差ではばまれたが、世界初挑戦の市橋には価値ある銀メダル。来年のシドニー五輪代表の座をほぼ手中に収めた。チョンが2時間26分59秒で優勝した。

あどけない表情を残す21歳の市橋が、2位でゴールに飛び込んだ。4度目のマラソン、初の国際舞台で優勝争いをしての銀メダル。自己ベストも更新した。「銀でしたけど日本人1番で良かった」。じわじわとわく充実感に、自然と表情が緩んだ。

前日の佐藤の銅メダルを見て「金は私が取ろうと思った」というほどの自信を胸に先頭集団をキープ。35キロ手前のロバの揺さぶりにも「一時的にペースが上がっても必ず落ち着く。後ろから上げれば追いつく」と動じない。百戦錬磨のマシャド、シモンを引きちぎり、ついには38キロすぎでロバも置き去った。

見えた金メダル-。だがそこに勝負のアヤがあった。必死に粘る無印マーク、チョンの荒い息づかいがトラック勝負を読んだ市橋の耳に入った。「呼吸がきつそうだったんです。いけるかなと思ってちょっと気を許したスキに……」。5メートル、10メートル、15メートル。真綿で首を締め付けられるようにジリジリその差を広げられた。届きそうで届かない3秒の壁だった。

自信はあった。6月上旬から標高1800メートルのスイス・サンモリッツにアパートを借りて高地トレ。総走行距離は約600キロと少なめだが、1週間に1度は標高3000メートルのネイル山を往復5時間かけて上り下りした。「どんな展開になっても対応できる質の高い練習」と「若さでおじけずに走る」という気性の強さで臨んだ初の世界挑戦。実力者を抑えての世界2位で、つかんだ自信は大きい。

走ることには、どこまでもいちずだ。レース後、黒山の報道陣が待ち構えるゾーンを目前に、市橋がダウンの走り込みを突然、始めた。幅2メートル、長さ10メートル足らずの袋小路をジョギングで何度も往復。こんなメダリスト、初めてだ。報道陣が叫ぶ「市橋さーん、コッチコッチ」の声も耳に入らないようだった。

15歳の春、徳島・鳴門の親元を離れ単身、上京。浜田コーチの「(高卒まで)3年待った方がいいんじゃないか」の声にも「走ることが好き」と自分の意志を貫いた。この日の沿道では「アリ、アリ」と母美登莉さん(46)姉香奈さん(23)が声をからした。父貢介さん(53)は「五輪に行きたいから世界陸上はいい」と留守番を決め込んだ。そして孝行娘は五輪キップをほぼ手中に収めた。

市橋は昨年11月の東京国際女子で同タイム2位で流した涙をセビリアで乾かした。殊勲のメダルにも「でも欲の深さがなくて、ラストスパートをかけられなかった」とどん欲。シドニーは満面の笑みでゴールを迎える。

■強化委員長は代表決定の明言避ける

シドニー五輪代表の座をほぼ手中に収めた市橋だが、正式決定は11月の日本陸連の理事会になりそうだ。「日本人トップでメダル獲得」という基準はクリアしたが、桜井シドニー五輪強化特別委員長は「キャリアのある強い選手に勝ったのは評価できるが」などと話すにとどまった。欠場した高橋ら選手層が厚いため、明言は避けたようだ。