昨年7月の陸上世界選手権(米オレゴン州)男子100メートルで日本人初の決勝進出を遂げたサニブラウン・ハキーム(23=タンブルウィードTC)が、ニッカンスポーツ・コムで次世代スプリンターへ提言する5回連載の第3回は、中、高、大、そして実業団と続く日本のエスカレーター式育成システムの課題について「革命を起こす」「新しい流れをつくる」覚悟で指摘した。【取材・構成=木下淳】

ここまで海外に出ることの重要性を訴えてきたサニブラウンは、できれば高校生から海外に出る枠組みを構築したいという。自身は東京・城西中、高からダイレクトで米フロリダ大へ進学したが、さらに早くてもよかったと思うことがある。

「やっぱり、高校のうちから米国とか海外に飛び出していくにはどうしたらいいか。考えた時、一番はエスカレーター式じゃない方法を探ることかなと。自分も高校まで日本ですし、あらためて、今が全て悪いわけではないんですけど、サッカーだったら学校と別にクラブチームがあるじゃないですか。そういう活動ができるチームを作って、定期的に海外合宿に派遣するシステムを作って、そこから大学なりプロなり、道を開ければ理想的ですよね」

自身には、従来のステップアップが“部活動の延長”に見えてしまったこともあり、別の挑戦を選んだ。

「あくまで自分の意見なんですが、エスカレーターって、乗ってしまえば一定のところまで勝手に上がれるんです。でも、受け身にもなりがち。それ以上は成長しないのかなと。正直、何も考えなくても上に着くので。そういう状況で『さあ世界大会に出るぞ』となった時に『環境が変わったから…』では戦えないですよね。海外では誰かがお守りしてくれるわけではないし、トレーナーがいないことも普通ですし。ずっと温室で育ったら、そういう環境に適応できません。もったいないですよ、マジで」

そこで、将来的な大会創設やクラブチーム制度の確立を目指したいと考えた。

「例えば高体連。インターハイという大きな大会には自分もお世話になりましたし、選手が1日に3レースもする日程など課題はあると思いますけど、今後も開催してもらいたい。その中で自分が考えているのは全中(全日本中学校選手権)とかインハイに準じる大きな大会を作って、クラブと学校の部活が競い合う場を設けたい、ということです。部活の高校生にさらに火をつけるには、その方法もありだなと。あとは部活の子たちを『1週間、アメリカへ行こう』と誘っても『けがしたらどうするんですか』『海外で問題が起きたら誰が責任を取るんですか』となると思います。理解できます。指導者もほとんどの方はボランティアで無報酬に近いでしょうし。でも、次世代の選手のために、関係各所と協力しながら考えていかないと。理想は、やっぱりクラブチーム制度を確立して誰もが出られる大きな大会を新設すること。高校生でも中学生でもいいので来てもらって、上位選手を米国に連れていくとか、どんどん外の世界を見る機会を増やしていきたいなと。海外経験が乏しい状況では、世界大会に出た時に面食らう。それこそダイヤモンドリーグを観戦する、でもいいですし、できることはあるのかなと」

創設したい大会については、具体的には以下のように思い描いているという。

「中学3年、高校1年、高2、高3とあったら、まず中3と高1を一緒のカテゴリーにして競走させて、その上位カテゴリーを中3から高3まで広げて、速い選手を集めて。いろいろ詳細は詰めないといけないですけど、例えば独自の標準記録を設定して、それを切っていれば全国どこからも出られる大会にするとか、最初は関東だけでもいいので、とにかく子供たち、学生たちのために始めたい。日本陸連が何とかしてくれるはず、と待っていてはダメ。僕らアスリートが動いてもいいんじゃないかな」

実際、インターハイをチェックしていた昨夏、ツイッターに、こう投稿した。

「年々思うけどインターハイの1日3本以上の過密スケジュールなんとかならないのかな?夏休みなんだしもう少し期間伸ばして選手の身体やパフォーマンスも考えてあげた方がいいだろと!この猛暑の中あれはちょっとひどいと思う…!これ変えたら少しは練習方法も変わってその先の幅が広がるのではと思う」

大会は、人員確保や運営費などの諸問題があるため全種目を5日間程度に詰め込むことが通例だ。よって短距離は予選、準決勝、決勝が全て同じ日になることが一般的。そこに一石を投じる、つぶやきとなった。

「日本の未来を担うスプリンターが、目指し、いつか立つはずの世界大会と違う過密日程ですし、もちろん理想だけ押しつけるわけにはいかないですけど、ここは改善の余地があるのかなと。選手のことだけを考えれば。まあ、青春って感じもしていいんですけど、選手の将来を考えたら良くはないですよね。インターハイ、国体、ジュニアユースのスケジュールを考えれば、やはり新たな大会を作ってあげたいと思います」

既存のシステムを変えることは不可能に近い。理解はしている。では、最終的な目標を何か聞かれると「学校とか作れたら面白いんじゃないかな」と答えた。

「陸上に限らず、いろいろなスポーツが同じような状況に陥っているんじゃないかなって思うんです。最初はクラブチーム制度を確立して、いつか学校側にも影響を与えていって、もう米国のように学業も競技も高水準のスクールを設立するとか。日本って、文化的に頑張るじゃないですか。会社員も、いまだに残業やってる人間が偉いみたいな感じがあるんですよね。部活動もしかりで、居残り練習しているのが偉いみたいな。成長期に絶対そんなことしちゃダメなんですよ。体の成長を止めるんで。中学までは、ぶっちゃけ適当でいいんです。楽しくやってくれれば。オンとオフをしっかり分けて、死にそうになりながら練習する必要なんてないし、そんなこと毎日やってたらつぶれちゃいます。スポーツの楽しさをはき違えてほしくない。だから、そういうことのない学校を作って教育、強化システム、海外研修もできる制度を整えれば、保護者の方たちも、おそらくOKしてくれると思うんですよね。子供たちのことを考えたら、絶対にそっちの方がいいですから。課題は、いかにそういう場面を増やしていけるか。現状は1人1人の保護者に説明して回れないので、クラブチームや学校を作って、来てくれた選手たちの保護者に説明して広げていくしかない。『お子さんをエスカレーターに乗せるの、やめませんか』って。もう、完全に革命を起こすような感じ。新たな流れをつくる覚悟です」

こうして恐れず提言する姿勢は、自身を必要以上に追い込むことにもなる。もし結果が出なければ、たたかれるだろう。それでも言う。背景には先人への敬意があった。自身と同じように海外挑戦し、飛躍を遂げた女子やり投げの北口榛花(24=JAL)は「日本陸連ダイヤモンドアスリート」の同期だ。この制度への感謝と希望についても自ら触れた。(第4回へ続く)

◆サニブラウン・ハキーム 1999年(平11)3月6日、福岡県生まれ。ガーナ人の父と日本人の母の間に生まれ、小学校3年で陸上を始める。15年世界選手権北京大会の200メートルに世界最年少の16歳で出て準決勝進出。東京・城西高を卒業後、オランダ修業をへて17年秋に米・フロリダ大へ進学。19年5月に9秒99、同6月に9秒97を記録した。20年7月に休学し、現在の所属に。21年東京五輪は腰のヘルニア等で200メートル予選敗退。190センチ、83キロ。血液型O。