孤高の歩みが偉業につながった。サニブラウンが日本勢初の2大会連続ファイナル進出。2度の本紙単独インタビューで語っていた向上心を、言葉から探る。

「世界はどんどん進んでいます。マジで置いていかれますよ、殻にこもっていたら。海の外へ出ないと」

まだ拠点を米国に移す前の高校2年時、世界ユース選手権で2冠に輝いた。200メートルではボルトの大会記録をも上回る20秒34。海を渡る夢がくっきり見えた。

「従来とは違う道がないか考えて米国へ。刺激がほしい。退屈が一番つらい。どうせなら金メダル。他の人とは違う挑戦をしたい」

国内の大学に進む気はなかった。「OKとYESしか話せなかったけど、日本を出ることしか考えてなくて」。高1から週4で語学塾に通い、単身で米フロリダ大へ。18歳の秋だった。

「親は反対するどころか『行ってきて。日本で学べない勉強をしてきて』と。実際、向こうでは本当の意味で練習とは何か考えられるようになった。与えられるだけでは成長できない」

ジャクソンビルの拠点には昨年の世界選手権2位のブレーシー、同3位ブロメル(ともに米国)が所属する。ともに9秒76で走る。

「表彰台に乗るためには何が必要で、どう準備するのか。彼らの努力を目の当たりにできるのは大きい。指導者もそう。米国のコーチは計測も全て自分。ウエートも練習に合わせたパワー、スピードに数値変換してプログラムを組み立ててくれる。引き出しの数の多さ、尋常じゃないですよ」

本場の高い競技レベルや最先端の理論など恩恵は多いが、一番は「たくましさが培われたこと」という。

「急に『翌週のレースに出るよ』とか、普通で。しかも海外へ。移動も準備も1人です。日本にいたらコーチやトレーナーがサポートで付いてくれる。ありがたいけれど『それでは育たないな』と感じてしまう」

6月の日本選手権で左足がつり、最下位に終わった後も海外転戦。世界ランクを上げつつ7月にスイスの大会で10秒09を出した。復調。序盤の10~20メートルの走りを見直すなど1人で修正する素養が身についていた。

昨夏の世界選手権7位も「追いついた、ではなく、遅れている」感覚。公言する日本初「9秒80台」の領域へ、常に「達成感ではなく危機感」がこの男を突き動かしている。【木下淳】

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