肩書は“前記録保持者”になった。ただ、本人に失望感はなく、前に進めた実感こそが肩書以上の価値だった。

相沢晃(26=旭化成)は27分13秒04、ずっと胸の鼓動を聞いていた。

1年半ぶりの1万メートルを走り終えると、「ずっとドキドキがとまらなかったです!」と紅潮した顔を向けた。3年前の全日本選手権で記録した27分18秒75を上回りながら、2連覇とはならなかった。

最後まで先頭を争った塩尻和也(富士通)が新たな日本記録となる27分9秒80で初優勝し、2位の太田智樹(トヨタ自動車)も27分12秒53で、先にゴールしていた。

結果は3位、それでも3年前の自分を超えた。

「5000ぐらいで離れたらどうしようとか、3000ぐらいで離れたらどうしようかって。とりあえず走りきることができてホッとはしているかな」。

22年6月に2年ぶり2度目の日本王者となった後、右足後脛骨(けいこつ)筋を痛めた。長く試合を離れた。「日本記録保持者で現日本王者」。はたから見れば優勝候補の大本命の立場だが、内情は違った。例えば、走れない中で鍛えた上半身の厚みは、レースでどう生かされるのか。未知数の復帰戦に、緊張感のとりこだった。

中盤以降に浮上して、8000メートル以降、4人に絞られた優勝争いに加わった。田澤廉(トヨタ自動車)が脱落して3人に。最終周回まで、近い距離で塩尻と太田の背中を追った。いや、追えた。「ラストの1周で、もしかしたら追いつけるかなとかも思ったんですけど、全然切れがなく。自分自身切れなくて、もういっぱいいっぱいだったので。もうほんとに粘ることしかできないんで。もうほんとに」。悔しさの露出にも、どこか楽しそうな表情が目を引いた。

「3位という形で、残念な結果ではあったんですけど、まあ、復活、そして新しい自分への第1歩は踏み出せたかなと思います」。そのせりふを弾ませた時も、言葉とは裏腹な喜びすら感じさせる姿があった。

「ドキドキ」。何度も口にした鼓動は、終盤には高揚感も混じっていたのではないだろうか。東京五輪に続く2大会連続のパリへ。「前日本記録保持者」の闘いが始まった。【阿部健吾】