競泳の日本選手権が無事終了した。心からホッとした。コロナ禍で多くの懸念材料が頭をよぎっていたから。

オリンピック選考会は、2020年にあるはずだった。競泳選手にとって最高峰の大会であるオリンピック。それが延期となり、目の前から消えた。人生を懸けたレースが突然なくなる衝撃は、競技をやっていない私たちの想像をはるかに超えていたはずだ。

4年間努力し続けて、ようやく2020年がきたと思っていた選手がほとんどだろう。アスリートがよく口にする「恩返しできるレースをしたい」。アスリートとして自分を最大限に表現できる場所が大会なのだ。トップ選手になれば力を発揮する場所も限られるし、記録はハイレベル。チャレンジが簡単なわけはないのだが、大会がなくなってしまってはどうにもできない。


女子100メートル自由形で優勝した池江(左)は4位の大本と抱き合って喜ぶ
女子100メートル自由形で優勝した池江(左)は4位の大本と抱き合って喜ぶ

自分の競技者としての時間を思い返す。2004年アテネオリンピックで代表に入れなかった。すでに競泳の選考基準は現在と同様の厳しさだった。私は3位で落選し、人生のどん底と感じていたかもしれない。

今なら「他にも人生あるよ」と思えるが、当時の私は競泳に懸けていたし、競泳が自分の100%の評価だと感じていた。アスリートはそれほど競技に打ち込んでいるし、それがトップで戦うということだ。このごろはデュアルキャリアとも言われるが、またその気持ちの割合は別の話だ。

しかし、自身の競技力のアップデートを発揮する場所が無ければ、この価値さえも見失う。そんな自分自身の経験も踏まえ、今回選ばれた選手、選ばれなかった選手はアスリートとしてどんな姿勢を見せてくれるかが楽しみでもある。


松元克央(5日撮影)
松元克央(5日撮影)

アメリカのスイマー、ケイティ・レデッキー選手はロンドンとリオデジャネイロオリンピックで計5個の金メダルを獲得している。しかも現在、名門スタンフォード大学で心理学を勉強していて、この五輪延期中に全ての単位を修得したとワシントン・ポストが伝えている。彼女はロールモデル(模範となる人物)であるといえる。

現役時代、多くの海外のアスリートたちに「今はこの競技を自分で選択している」という印象を持った。「医学部を休学してオリンピックに出ている」とか、「将来は弁護士になって人を助けたい」とか、さまざまな背景が選手たちにはあるのだと知った。とんでもなく驚いたし、自分の立っている位置はなんなのか自問自答した。前述した通り、全てを競泳のために、という切迫詰まった生活をしていたから、ちょっとショックでもあった。「生き方」についてあまり考えていなかったからだ。


男子200メートル平泳ぎ優勝の佐藤(左)と2位武良
男子200メートル平泳ぎ優勝の佐藤(左)と2位武良

1年延期された今回の選考会。独特の緊迫した状況の中で、予選、準決勝とコマを進め、最後の決勝に全てをかける。それは競泳の醍醐味(だいごみ)でもある。「競技を通してどんな人になりたいか」。現役時代からコーチに言われていた。その意味を当時はぼんやりとしか考えていなかった。あのころの正解は、勝つことだった。

しかし、そのシビアな経験、体験をして得たものは計り知れないのだ。決断すること、実行すること、判断すること。これこそが、競技者としての強みだ。

日本代表としてのこれからの3カ月間。人生でとてつもなく濃い時間になるだろう。頂点を目指すこの時間は貴重であり、その経験は自分の将来の強みになる、価値のあることだと自分で認識してほしい。アスリートは自分の価値を自分で高められる。それこそが、希少であるのだ。(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)