ボクシングWBA世界ライトフライ級王者の京口紘人が、米ダラスで3度目の防衛に成功した。

メインではなかったけれど、昨年のバンタム級の井上尚弥に続く、日本人王者のボクシングの本場での勝利は誇らしい。つい十数年前までは世界王者は日本国内に挑戦者を呼んで防衛を重ねるのが世の常。リスクの大きい海外防衛戦はほとんどなかったから、隔世の感がある。

長い間、日本の世界王者は国外で試合をする必要がなかった。日本は世界屈指の経済大国でテレビ放映権料を元手にしたファイトマネーは世界と比較して遜色なかったからだ。半面、選手の国際的知名度は低かった。米国では億単位の報酬が約束されたスーパーファイトも珍しくないが、日本選手に声がかかることはほぼなかった。

突破口を切り開いたのが、元WBCスーパーバンタム級王者の西岡利晃。09年5月、2度目の防衛戦で敵地メキシコに乗り込み、世界的にも評価の高かった元WBOバンタム級王者ジョニー・ゴンザレスを、3回に左ストレート一撃で失神させた。実に日本人24年ぶりの海外防衛だった。この左は“モンスターレフト”と呼ばれ、西岡の名前とともに世界に強いインパクトを残した。

11年10月にはボクシングのメッカとして知られる米ラスベガスのリングに上がった。あのマイク・タイソンやフロイド・メイウェザーらも登場したMGMグランドでのメインイベントで、2階級制覇王者ラファエル・マルケスと7度目の防衛戦を行い、3-0の大差判定勝ちを収めた。米本土で初めて防衛に成功した日本人王者の国際的な評価は急上昇した。

12年10月に米カーソンで行われた3階級制覇王者ノニト・ドネアとの注目の統一戦は完敗したが、当時、全階級を通じて最強と言われたドネアと誰もが対戦できたわけではない。この一戦を実現させたことは、日本人選手の国際的評価を高めるとともに、日本のボクサーの大きな刺激になった。西岡以降、世界王者は国内の防衛戦だけで満足できなくなり、世界的な名声を求めて米国を目指すようになった。

大リーグでは野茂英雄がフォークボールを武器に旋風を起こし、イチローや松井秀喜らに道を開いた。サッカーでは中田英寿が高い身体能力とパスセンスでセリエAで活躍、欧州市場を日本に振り向かせた。同じようにボクシングでは西岡が“モンスターレフト”で、日本から米国へのレールを敷いたのだ。

約10年前の西岡の勇気ある夢への挑戦は「日本人初の快挙」として今も語り継がれる。それは西岡個人の勲章だけではなく、何より日本ボクシング界の未来にとって意義のある偉業だったのだ。米国での京口の防衛戦を見ながら、そんなことをしみじみと感じた。【首藤正徳】(敬称略)