プラシド・ドミンゴ

2002年6月27日の3大テノール公演前日、会見に応じる左からホセ・カレーラス、ルチアーノ・パバロッティ、プラシド・ドミンゴ
2002年6月27日の3大テノール公演前日、会見に応じる左からホセ・カレーラス、ルチアーノ・パバロッティ、プラシド・ドミンゴ

大地震、巨大津波、原発事故、放射線の恐怖――周囲の制止を振り切って来日した世界3大テノールの1人、プラシド・ドミンゴ。3・11東日本大震災後、世界中から日本へ、被災地へ、支援が寄せられた。来日中止の海外アーティストも相次いだが、ドミンゴさんは自らも義援金寄付を明かし、「音楽を届けることで少しでも力になりたい。いつの日か皆さんが立ち直ることを信じています」と語った。予定通り4月10日と13日にコンサートを開催。「故郷(ふるさと)」を日本語で歌った。大合唱になった。誰もが泣きながら歌った。「このコンサートは皆さんに少しでも安らぎのひとときをと開いたものです」。当時70歳。偉大なるテノール歌手に感謝と拍手を!

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<芸能・2011年4月11日掲載>