フィギュアスケート男子の宇野昌磨(21=トヨタ自動車)が自身の公式サイトで重大発表をしたのは、6月3日のことだった。

「この度、私、宇野昌磨は長年お世話になっていたグランプリ東海を卒業いたしました。まだ今後のことは具体的に決まっておりませんが、まずは直ぐに始まる海外合宿に打ち込み、一歩一歩進んで行きたいと思います」(原文まま)


2019年4月、国別対抗戦男子フリーで滑る宇野
2019年4月、国別対抗戦男子フリーで滑る宇野

その意思表示は、5歳の時に名古屋のグランプリ東海クラブでスケートを始めてから指導を受けてきた山田満知子、樋口美穂子両コーチからの「巣立ち」を意味した。振付師でもある樋口コーチには、試合用プログラムを全て託してきた。後日、それも「環境を変えるに伴い」と海外の振付師に依頼することを発表した。

転機の1つとして考えられるのが19年3月、さいたま市で行われた世界選手権だった。前年まで2年連続2位。大会前には「調整は順調」と手応えを持っていたが、ショートプログラム(SP)では冒頭の4回転フリップで転倒し6位。フリーもミスが目立って総合4位となり、16年世界選手権以来、3年ぶりに表彰台を逃した。その間の3年、全ての試合で表彰台に乗り続けたことにも十分な価値があるはずだが、宇野の感情は違った。


2019年3月、世界選手権フリーを終え下を向く宇野
2019年3月、世界選手権フリーを終え下を向く宇野

「自分の弱さに失望した。『自分は本当に弱い』と気付かされた」

「弱い」という言葉を何度も繰り返した取材エリア。演技直後で釈然としない感情を整理していたのか、唇をかみしめ、一言一言に間をおきながら、率直な思いを紡いでいった。その場のモニターには最終的に優勝するネーサン・チェン(米国)、2位となる羽生結弦(ANA)の演技も流れていたが、そちらに目をやることもなかった。

初優勝を果たした1カ月前の4大陸選手権後には「もっともっと練習した上で、世界選手権では『優勝』を目指したい」と誓った。五輪前でさえ「金メダル」と言わなかった男が示した覚悟の分、その反動は大きかったとも思える。この点は想像の域だが、世界選手権で本当に優勝できていれば、「卒業」という決断はなかったのかもしれない。


2019年2月、4大陸選手権で優勝した宇野(中央)
2019年2月、4大陸選手権で優勝した宇野(中央)

納得して、踏み出す-。宇野は一部の信頼できる身内以外から見れば頑固で、少し遠くから眺めていると自分の意志に背かないという印象を抱く。その一例が18年平昌五輪で銀メダルを獲得する、90日前にもあった。

17年11月19日、フランス・グルノーブル。アルプス山脈の麓にある町で行われたグランプリ(GP)シリーズ2戦目で、シリーズ上位6人が進むGPファイナルへの出場権をつかんだ。19日はそんなフリー演技の翌日だった。

リンクのすぐ隣に設置された透明の仮設プレスルーム。朝からエキシビションのリハーサルがあり、少し眠たそうな宇野はそこに座りながら、大会を終えた心境を丁寧に話した。緊張感が続く五輪シーズンだが、少しばかりリラックスできる日だったのだろう。笑いも多くあった取材中に、ある質問が飛んだ。

「食生活で改善しようと思うことはありますか」


2017年11月、フランス杯で2位となった宇野
2017年11月、フランス杯で2位となった宇野

偏食があった他競技の著名アスリートが、年齢を重ねるにつれて意識改革していることを例に出し、宇野の考えを問われた。ガラス越しに差し込む日光を少しばかり気にしながら、野菜嫌いの男はこう答えた。

「食べ物は…。僕の考えは体が本当に『必要だ』って思ったら、勝手に食べたくなる。だから今は必要と思っていないんじゃないかな、体が。健康診断を受けても何も問題がないので。必要になったら自然と食べたくなるものだと勝手に思っているので、それまで僕は気長に待っています」

嫌いな野菜を食べない生活を継続する意思表示…という以上に、著名人の成功例を出されようが、自分が納得するまで変化を選ばない性格が強くにじんだ瞬間だった。柔和な外見に同居する、頑固な性格。かつて男子トップスケーター必須のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)習得に5年も要しながら、決して諦めなかったのは、この性格が強みとなったはずだ。

このシーズン前には、競技面でも周囲に流されない考えを持っていた。毎度話題になる「平昌五輪」「金メダル」といった問いかけにも、当時19歳の青年が踊らされることはなかった。

「僕の中ではどの試合も悔しい思いをしたくない。いい演技をしたい。もちろん大きい試合では、特別な思いを抱くかもしれないけれど、今、思っているのは、どの試合でもいい演技がしたい。今季に照準を合わせるとかも思っていなくて、今季も『成長できた』と思えるシーズンになるようにしたい。それは『もっともっと先の自分』への過程だと思っています」

五輪で銀メダルを取る半年前から、長いスパンで自分のスケート人生を考えていた。シーズン前に予防線を張った訳でなく、宇野の一貫したポリシーだった。


2018年2月、平昌五輪で銀メダルを獲得した宇野
2018年2月、平昌五輪で銀メダルを獲得した宇野

そんな男の言葉は、19年3月の世界選手権4位を境に大きく変わっていった。宇野は過去に「僕は基本、答える時によっぽどダメなこと以外は、自分が思ったことをそのまま言っている」と明かしたように、いつも正直な心境を口にする。だからこそ、もがいている様子もよく分かった。


◆3月24日(世界選手権フリー一夜明け)「『試合でもう1回(演技を)やっていいですよ』って言われても、できる気がしない」

◆4月10日(世界国別対抗戦前日)「この試合で『世界選手権の(悔しい)気持ちを晴らしたい』という思いは全くないです。この気持ちを少しでも長く持っていた方が、成長につながると思いますし、やはり僕は世界選手権の思いを試合にぶつけるんじゃなくて、練習を成長の糧にしたいと思います」

◆4月11日(世界国別対抗戦SPで3位)「そんなに自分に期待していない。実力からして妥当な演技。ふてくされているわけではないけれど」

◆4月12日(同対抗戦フリーで3位)「僕は今季、跳べるはずのジャンプを、いくつも(試合での導入に向けて)練習せずに1年を過ごした。でも、やっぱり男子の成長はとてつもなく早い。自分もまだ、成長できる年だからこそ『成長していかなければいけない』と、世界選手権(の時点)で強く思いました」

◆4月13日(同対抗戦一夜明け)「僕は、今は『スケート界のトップで争える』という気持ちを、1度捨てたい。世界選手権が終わった時に思いました。トップで争っていて『その中で1位になるには』って考えるのではなくて、もっと成長して、その先。もっともっと、上を目指して練習していきたいと思います」


自信を持って跳ぶことができるジャンプ構成内での勝負、幼少期から知る樋口コーチが自らの弱点を補いながら良さを出してくれる振り付け、不自由の少ない練習環境…。そこから殻を破る時が、今と判断したのだろう。

あのグルノーブルにおける食生活の話のように「○○がやっている」「○○もそう」。そういった言葉には揺さぶられない男が、動く。今夏は平昌五輪女子金メダルのザギトワらが拠点とする、ロシアでも練習を行う。宇野サイドは焦ることなく、ゆっくりと時間をかけ、さまざまな選択肢を吟味しながら、新しい拠点を選んでいくという。


宇野(左)に声を掛ける樋口美穂子コーチ
宇野(左)に声を掛ける樋口美穂子コーチ

振り返れば、平昌五輪フリー後の宇野はすがすがしかった。

「これまでで一番、樋口先生が喜んでいたので、それは『すごくうれしいな』って思ったんですけれど、僕にとって五輪で銀メダルっていうのと、他の試合での銀メダルとの違いは特に感じなかったです」

そして、慣れ親しんだコーチからの“卒業表明”には「背中を押して送り出してくださった先生方、また、多くの方々に支えられているこの競技人生に感謝の気持ちを忘れず、新たなスタートを切りたい」というコメントを添えた。その固い絆を超えたのが、常に持ち続ける「もっともっと先の自分」に向けた「変化」する覚悟だったのだろう。

「世界のトップでない」

あえてそう自らに言い聞かせ、未来へとつながる壁をぶち破る。【松本航】