プロレスを担当していたことがある。もう30年以上前で、国内に新日本、全日本、全日本女子の3つの団体しかなかった時代だ。

新日本の取材で鹿児島を訪れた時のことだった。親しくしていた若手レスラーからデートに同行してくれと頼まれた。彼には鹿児島にガールフレンドがいた。選手とファンとして知り合ったが、試合で全国を回るレスラーは忙しい。2人にはなかなか会う機会がなかった。「久しぶりなので照れくさいから、一緒に来てくれないか」ということだった。

大会前日の夜、鹿児島市内のホテルの最上階レストラン。僕は居心地悪さを感じながら2人のぎこちない会話を聞いていた。そこに現れたのは長州力と維新軍のメンバー、アニマル浜口、谷津嘉章、キラー・カーンたちだった。新日本マットは当時、猪木をトップとする本隊と長州維新軍が激しい抗争を繰り広げていた。

彼と彼女に緊張が走る。巡業先で宿舎を抜け出してのデート。それを敵対する長州らに見られるのはあまりにもバツが悪い。僕も含めた3人が1時間ほど顔を伏せて沈黙を続けていると、長州らは食事を終えて席を立った。テーブルが離れていたから気づかれなかったのか。2人はホッとして顔を見合わせたが、その後の会話はよりぎこちなくなってしまった。翌日には試合もある。早めに切り上げて会計に向かうと、係の女性はこう言った。「長州様がお済ませですので…」。

一夜明けた大会会場。彼は礼を言わなければと意を決し、長州維新軍の控室のドアをノックした。まだ開場前で体育館にはファンの姿もなかった。彼が部屋に消えた直後、中から聞こえてきたのは肉体がぶつかり合う音とパイプいすがひっくり返る音、そして長州らの怒声だった。「コラーッ、ここはお前の来るところじゃねーッ。バッカヤローッ、出ていけーッ」。気がつくと鼻と唇から流血し、目を真っ赤に充血させた彼が目の前に放り出されていた。維新軍に袋だたきにされた彼はひざまずき、肩を震わせて何も言わなかった。その後、前座試合でリングに上がったその顔は、試合前なのに赤黒く腫れ上がっていた。

僕もその日一日、怒りと怖さに震えていた。純粋に礼を尽くそうとした彼に対して、そこまでする必要があるのか。あまりにも理不尽すぎないか。当時は記者が維新軍の控室に入ることは厳禁だったが、彼が礼を伝えられたら僕も続いて部屋に入るつもりだった。この出来事を境に長州はより取材しにくいレスラーになった。

僕はその後、プロレス担当を離れ、彼との交流も途絶えていた。鳴かず飛ばずの中堅レスラーになっていた彼はある時、髪を金色に染め上げて新日本本隊に牙をむくアウトローに変身。危険な角度で相手をマットにたたきつけるバックドロップでテレビ中継にも登場するようになった。長い期間ではなかったが、プロレスラーとして確かな輝きを放っていた。その姿を見て思った。彼をつくったのは、あのときの長州ではなかったかと。

長州力、67歳。今年6月26日に東京・後楽園ホールで現役に別れを告げた。恐ろしいほどの厳しさ、激しさの裏に情を隠し、プロに徹して戦い抜いてきたのだろう。あの鹿児島で長州力というレスラーの本質の一端に触れることができていたのだと、今更ながら思う。(敬称略)【小堀泰男】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)