飛び込みの寺内健(34=ミキハウス)が、夏季では日本人最多タイとなる5度目の五輪出場を決めた。男子3メートル板飛び込み準決勝で、463・25点の10位で決勝に進出し、12位以内に与えられる来年リオデジャネイロ五輪出場権を得た。08年北京五輪後に一時引退。11年に現役復帰も、同年の世界選手権で最後の1本で失敗し、12年ロンドン五輪の出場権を逃した大ベテランが、不屈の闘志でリベンジを果たした。

 過去4度とは違う。10位に入り、5度目の五輪出場権を獲得すると、寺内は馬淵崇英コーチと抱き合った。小学5年から師事する師匠から「やっとやな」と言われると、思わず込み上げるものがあった。ロンドン大会の切符を逃して4年。34歳になった元天才少年は、ロシアで意地をみせた。

 薄氷を踏むような戦いだった。出場61人中、唯一の30代。トップ選手の技の難易度は高い。難易度の高くない技を、どれだけ完璧に飛ぶか。1本目を終えてボーダーの12位、3本目で11位、5本目で10位と安定した演技で確実に順位を上げる。ベテランならではの精神力で、1つのミスも許されない戦いを乗り切った。

 08年北京五輪後に引退も、11年1月に五輪を目指して復帰した。だが、同年世界選手権準決勝の最後の1本で失敗して12年ロンドン五輪出場権を逃す。30歳を超えるとケガも多く、かつての猛練習はできない。何度も心が折れそうになったが「見返してやる」と自分に言い聞かせた。「4年前があったからこそ、今がある。無駄ではなかった」と挫折を糧にできた。

 2歳下で交流のある競泳の北島康介(32)と5月下旬に食事した。互いに来年のリオが5回目の五輪。「来年頑張れば5回目だね」と1時間半、語り合った。「リオでは彼と一緒に出て結果を出したい」と同じ志を持つベテランの存在を励みにしてきた。

 96年アトランタ大会に15歳で出場してから来年で20年。「過去4回の五輪は出て当たり前だった。今回はコーチとやっとつかんだ。前の五輪よりも戦いがいがある」。夏季では日本人最多タイの5大会五輪出場。10、20代が主流の競技だけに価値も大きいが、満足はしていない。「出場が最終目標ではない。あくまでスタートライン」。34歳の挑戦は続く。【田口潤】

 ◆寺内健(てらうち・けん)1980年(昭55)8月7日、兵庫県宝塚市生まれ。1歳で水泳を始め、小5で飛び込みに転向。史上最年少13歳で、94年日本選手権高飛び込み優勝。96年アトランタから08年北京まで4大会連続五輪出場。世界選手権は6度目の出場。01年福岡大会は板で銅。08年北京五輪後、一時引退も、11年1月に現役復帰。甲子園大大学院修了後、ミズノを経て現在ミキハウス。13年10月に史佳夫人と結婚。

 ◆五輪の複数大会出場 夏季では92年バルセロナ大会から08年北京大会まで出場した柔道の谷亮子らの5度が最多。アーチェリーの山本博、馬術の杉谷泰造も5度出ている。出場が幻となった80年モスクワ大会を含むと、射撃の蒲池猛夫、アーチェリーの松下和幹も5度の出場権を獲得。橋本聖子がスピードスケートで冬季4度、自転車で3度と、計7度出場。冬季ではスキージャンプの葛西紀明が昨年ソチ五輪で最多7大会連続出場した。