盟友が「平成の三四郎」古賀稔彦さんの死を悼んだ。白糠町出身で古賀さんとともに92年バルセロナ五輪に出場し男子60キロ級で銅メダルを獲得した越野忠則氏(54=現国際武道大男子柔道部監督)は24日、訃報を受け「自分より年下が先に亡くなるなんて。残念でならない」と悔やんだ。昨年12月の講道館杯の際、他の指導者から様子を聞いていたという。「良くなっているという話も出ていたので。53歳の働き盛り。一緒に過ごした仲間が…」と寂しそうに話した。

越野氏は、バルセロナ五輪の直前、同じ日本代表として、71キロ級の古賀さんや95キロ級の小川直也氏(52)らと、合宿などで長期間ともに生活した。「大会直前は半月ぐらい一緒だった。講道館での合宿のときは男子代表7人で雑魚寝してね。個性が強いやつらばかりだったが、畳の大部屋で雑魚寝をしようというところだけは、意見が一致した。楽しかった思い出です」と当時を振り返った。

古賀さんの伝説的な金メダルの瞬間は、バルセロナの選手村でテレビ観戦していた。現地での練習中に左膝を負傷した瞬間も同じ練習場にいて「それからずっと車いす。本人は『絶対勝つ』って言っていたけど。これは厳しいんじゃないかと思った」。金メダルを持って選手村に戻ってきたときも車いすだったという。男子柔道最後の種目が越野氏の60キロ級で、車いすの古賀さんに選手村から送り出され、銅メダルを獲得した。

「気持ちの強い男だった。選手村では車いすの選手が、テレビの中だけ立っていた。あれだけの奇跡を起こした男が病に負けてしまうなんて。ショックです」と沈痛な思いを口にした。

◆越野忠則(こしの・ただのり)1966年(昭41)4月3日、白糠町生まれ。小学3年で柔道を始め、白糠高3年で全国高校総体軽量級3位。東海大時代は84年ロサゼルス五輪60キロ級金メダル細川伸二の後継者として期待され、卒業後は東洋水産入りし89~91年まで全日本選抜体重別60キロ級3連覇、91年世界選手権(バルセロナ)60キロ級優勝。バルセロナ五輪60キロ級銅メダル獲得後、現役を引退。現在は国際武道大男子柔道部監督を務める。159センチ。