中国の高官、張高麗元副首相から性的関係を強要されたことを自身のSNSで公表。その後、消息不明とされている女子テニスで、全仏、ウィンブルドンのダブルスに優勝した彭帥(35=中国)の問題は、一向に解決を見ない。

彭帥で最も思い出すのは、14年の全豪1回戦だ。当時、世界43位だった彭帥は、同74位の奈良くるみと対戦した。その日、会場のメルボルンは気温40度超え。コート上は65度にもなった。暑熱対策規則はあるが、湿度が低かったため、この日、試合は行われた。

第2セットに彭帥は両太ももにけいれんを起こした。何度もコート上で立ち止まった。猛暑で脱水症状が起きているのは明らかだった。主審が何度も確認するが、決して試合をやめようとはしない。

最終セット。ついに、両足けいれんに加え、試合中に嘔吐(おうと)。コート上に崩れ落ちた。それでも試合を続行し、最後まで戦い敗れた。壮絶なファイターだった。試合後、中国の記者数人が、倒れた彭帥を、なぜ奈良は助けなかったとかみついたほどの激烈な試合だった。

日本と中国の女子に多く見られるフォアハンド、バックハンドも両手打ち。奈良と戦った14年、ダブルスで世界1位となった。中国選手が、単複合わせ、世界ランキングで1位になるのは史上初の快挙。同年、シングルスで2度目の4大大会優勝を全豪で成し遂げ、引退したヒロイン、李娜を受け継ぐ中国期待の選手だった。

しかし、上り調子だったファイターに、18年、けちがついた。テニスの不正防止機関である「テニス・インテグリティ・ユニット(TIU)」は、17年のウィンブルドン女子ダブルスで、ペア変更のために、登録していた選手に金銭で変更を迫ったとして、彭帥に6カ月間の出場停止と1万ドルの罰金を科した。彭帥は否定したが、処分は確定。彭帥の姿は、一時期、ツアーから消えた。

86年1月8日に、毛沢東が生まれた中国湖南省湘潭市で誕生した。8歳で叔父の勧めでテニスを始め、01年にプロ転向。以前から、中国の管理下にありながら、個人コーチをつけたり、国家主導のアジア大会や五輪よりも、4大大会を重視する主張を掲げる反体制の選手だった。そして、その流れが、今回の告発につながった。(下に続く)【吉松忠弘】

【スポーツ徒然草・下】究極の個人競技と国家主義 彭帥問題を招いた背景>

◆彭帥(ポン・シュアイ)1986年1月8日生まれ、中国湖南省出身。8歳からテニスを始め、01年プロ転向。13年ウィンブルドン、14年全仏女子ダブルスで優勝。WTAツアーでシングルス2勝、ダブルスで23勝。自己最高ランクはシングルス14位、ダブルス1位。177センチ。

▽彭帥問題の経過

★11月2日 彭が共産党最高指導部メンバーだった張前副首相と不倫関係にあったと実名で告白する長文を短文投稿サイト、微博(ウェイボ)に投稿。

★同14日 女子テニス協会(WTA)が、彭の告発内容について「検閲なしに、完全に、公正に、透明性をもって調査されなければならない」と声明を発表。

★同16日 大坂なおみが彭について、ツイッターで「テニス選手の仲間が性的虐待を受けていたと明かしてから行方不明になったと伝え聞いた」と記し「現在の状況にショックを受けている」と安否を案じた。

★同18日 中国国営メディアCGTNが、彭がWTAに送ったとするメールのスクリーンショットをツイッターで公開。しかしWTAのサイモン最高経営責任者(CEO)は「信じ難い」「私は何度も彼女に連絡をとろうとしたが駄目だった」と声明を発表。

★同19日 米CNNテレビ電子版はWTAのサイモンCEOが「ビジネスよりも大事なことだ」と中国撤退も辞さないとの強い姿勢で適切な調査を求めたと報じた。国連人権高等弁務官事務所の報道官は、彭の所在確認などを中国当局に求めた。

★同21日 北京市で行われたジュニアのテニス大会の主催者は彭が来賓として出席したとする写真や動画を公表。中国共産党機関紙系の環球時報の胡錫進編集長も、開会式で紹介された彭が手を振る様子の動画をツイッターに投稿。国際オリンピック委員会(IOC)はバッハ会長が彭とテレビ電話で30分間にわたり通話したと公式ホームページで発表した。