フェンシングの12年ロンドン五輪(オリンピック)男子フルーレ団体銀メダリスト三宅諒(32)が4日、現役引退を発表した。

ツイッターに「長い時間をフェンシングに費やし、これからの時間もまたフェンシングに費やすことでしょう。こんなに素敵(すてき)なことはないと僕は思います。幸せでした!!」などと、つづった。

5歳で競技を始め、小学6年生で日本一。中学2、3年時は全国大会を連覇した。慶応高時代の07年には世界ジュニア・カデ選手権の男子フルーレ個人で金メダル。当時、各年代を通じて日本人初となる世界王者になった第一人者だった。

178センチの左利き。日本協会の「600日合宿」で鍛えられ、慶大4年時にチーム最年少で12年ロンドン五輪に出場した。個人は初戦敗退。しかし太田雄貴、千田健太、淡路卓との団体では、準決勝のドイツ戦で唯一の勝ち越しなど、当時史上最高の銀メダル獲得に貢献した。

大学では文学部哲学科で中世哲学を専攻。卒論テーマは「騎士道」という知性派でもあった。

20年には、新型コロナウイルス感染拡大を受け、活動費の捻出を兼ねたブランディングで食事宅配サービス「ウーバーイーツ」のアルバイトをして話題になった。最愛の夫人との、時代を先駆けた「zoom婚」でも注目された。

21年の東京五輪出場は逃し、昨年9月の全日本選手権は9位。試合後の取材で「次の五輪(24年パリ大会)を目指すかどうか、なかなか言えないのが正直なところ。まさに進退を考えるシーズンなのかなと。今後もナショナルチーム(日本代表)で活動していく道を目指すのか、その分岐点。どんどん若い選手が出てきているし、僕自身、もう3大会前(の五輪の年代)の選手なので。これから、どういうポジションでやっていくか考えたいと思っています」と話していた。

昨年6月のアジア選手権で、後輩たちの男子フルーレ団体が金メダルを獲得した時、おぼろげにあった進退が強く頭をよぎったという。「そもそも代表に入るとか最近は考えもしていないし、僕が勝つとか負けるとか言い続けるのは、もう違うのかな」。さらには、今年2月のワールドカップ(W杯)カイロ大会で若き団体が金メダル。自身や太田らが11年1月のパリ大会で優勝して以来11年ぶりの快挙で、もう心置きなく

一方でフェンシング自体をやめるつもりはなく「そこはずっと続けていきますよ。好きですから。勝ち負けより『楽しいフェンシングおじさん』みたいになっていくのかな。毎年毎年、フェンシングの楽しい形を模索して、そのための準備をしていきたい」と語っていた。

「これからの時間もまたフェンシングに費やすことでしょう」とツイートしたように、今後も競技発展に貢献していく。【木下淳】