サーフィン女子の松田詩野(20)が、全32競技を通じて日本勢初となる24年パリ五輪出場権を獲得した。

来夏祭典の予選を兼ねたワールドゲームズ(WG=世界選手権相当)第6日が5日(日本時間6日)にエルサルバドルで行われ、国際連盟(ISA)から五輪出場枠が与えられるアジア勢の最上位を勝ち取った。東京五輪の代表に内定していたが、当時の規定で出場を逃していたヒロインが「パリ内定第1号」となった。

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松田はアジア勢で唯一、敗者復活6回戦に進出。同じ日本代表では、東京五輪銅メダルの都筑有夢路(22=木下グループ)や同代表の前田マヒナ(25)が5回戦までに敗退した。さらに中国選手も姿を消した中、松田だけが勝ち残った。その後は6、7回戦も勝って8回戦に進んでいる。

6歳の時、両親に勧められて地元のサーフィンスクールに入り、初日に波に乗って周囲を驚かせた。16年8月4日には、初めてサーフィンが五輪で実施されることが決まり、当時13歳の松田は先輩サーファーたちと会見に出席していた。

「勉強もあるけど、東京五輪に出たい」

そう目を輝かせていた天才少女は、全日本選手権優勝や世界ジュニア銀メダルなど実績を積み、条件付きながら東京五輪の出場権を19年のWG日本大会(宮崎)で獲得。しかし、最終選考となった21年のWGで日本女子の3番手となり、自国の波に乗る夢を逃していた。

その悲劇の舞台は、今回と同じエルサルバドルだった。20歳となり、因縁の地で忘れ物を波からすくい上げた。念願のオリンピック初出場へ。先月25日に羽田空港から出国した際には「リベンジしたいという思いもあるし、新しいスタートだとも思う。(内定を)決めることを意識する」。覚悟をにじませていた通り、目指したアジア最上位=パリ五輪出場権をつかんだ。

◆松田詩野(まつだ・しの)2002年(平14)8月13日、神奈川・茅ケ崎市生まれ。両親に勧められて6歳の時に地元スクールで競技を開始。茅ケ崎一中2年の16年に全日本選手権優勝。18年には世界最高峰チャンピオンシップツアー(CT)の予選シリーズ一宮千葉オープン優勝。19年、WG日本大会でアジア勢最高15位。21年、東京五輪代表の最終選考を兼ねたWGエルサルバドル大会で日本3番手となり、内定していた五輪出場を逃した。右足を前にしてボードに乗る「グーフィー」スタンス。158センチ、48キロ。血液型A。