<ボート:ロンドン五輪アジア大陸予選代表選考再レース>◇6日◇埼玉・戸田漕艇場

 スポーツ界でも異例の大逆転劇が起きた。日本スポーツ仲裁機構が異例の取り消しとしたボートのロンドン五輪アジア大陸予選男子軽量級ダブルスカル代表の選考再レースが行われ、補欠となって仲裁を申し立てた武田大作(38=ダイキ)と浦和重(36=NTT東日本東京)組が、2戦先勝のマッチレースで須田、西村組に連勝し、逆転で代表を手にした。同予選は26日から韓国・忠州で行われ、上位3位以内で五輪出場枠を獲得する。

 武田が思わず叫んだ。「正義は勝つ!」。公正を求めて、悩んだ末に仲裁にまで持ち込んだ武田の執念が実った。練習不足で不利が伝えられた中での快勝逆転劇。2大会連続で武田の相棒として五輪に出場した浦は「武田さんの思いに応えられて良かったです」と号泣した。

 武田は96年アトランタから4大会連続五輪出場、浦も2度の五輪を経験しているベテラン組は、最初から若手の相手をのんでかかった。「力はこっちの方が全然上」(浦)。2000メートルを競うレースは1本目は500メートルまで「省エネ」(武田)で自重。その後、ギアを上げ一気に抜き去った。2本目は、最初から終始リードを奪う快勝だった。

 ともに競技をやめるかどうかの瀬戸際に立たされた。昨年11月の選考会で代表落ち。五輪への夢を一時は絶たれ、武田は「どうしようか思い悩んだ」。浦は代表からの引退を表明。所属先でコーチ兼選手の道を選ぶことを決めていた。しかし、武田は「ここでやめるのは男らしくない」と一念発起。仲裁で勝ち、浦も説得した。

 3月6日に2人で練習を再開した。しかし、相手は代表合宿で5カ月間も練習を積んでいた。時間的な余裕がなく、今レースの結果が出る前に、自らの艇は大陸予選の韓国に送った。今回は同期の友人から借りた艇でのレースとなった。圧倒的な不利な状況を「僕は間違っていない」(武田)という思いで覆し、五輪への道をこじ開けた。【吉松忠弘】

 ◆代表選考会の経緯

 昨年11月の最終選考合宿で代表候補6人がペアを組み替えながら10レースを行い、6人の平均タイムで代表上位2人を選ぶはずだった。しかし、後で最下位選手と組んだレース結果を除く方式に変更され、武田は2位から3位に、1位の浦は4位となり落選した。今年2月2日に公平性を欠くとして武田が日本スポーツ仲裁機構に申し立て。同27日に、代表取り消しの裁決が下った。