<柔道:世界選手権>◇11日◇男子73キロ級◇東京・代々木第1体育館

 男子73キロ級では秋本啓之(24=了徳寺学園職)が金メダルを獲得した。

 派手に喜ばなくても秋本はクールな表情の奥底で、金メダルの重みを感じた。うれしさは爆発させずに「かみしめるもの」(秋本)。そのポリシー通り、派手な投げ技ではなく、寝技で世界を制した。決勝のエルモント戦。得意の背負い投げを封じられると、バランスを崩した敵をすぐに寝転ばせた。「チャンスがあれば寝技をやろう」。しつこく攻め続け、崩れけさ固めで仕留めた。準決勝も世界ランク1位の王己春(韓国)に寝技を徹底して撃破。堅実な技で世界一の称号を手にした。

 スタンドに顔を向けた秋本の視線の先には父勝則さんの姿があった。5歳の時から柔道の手ほどきを受けた父は75年ウィーン世界選手権で軽中量級(70キロ以下)銅メダルの実力者。幼少のころから基本練習の反復を徹底され、ミスをすれば道場の外に蹴り出されるスパルタ教育。その猛げいこが秋本の土台を築いた。これで日本柔道初の親子メダリスト。成績では父を上回ったが「まだ超えたと思っていない。両親のおかげで柔道に巡り合えたから」と感謝を繰り返した。

 09年の講道館杯から73キロ級に階級を上げた。66キロ級時代は6~7キロの減量を続けていたため、過食嘔吐(おうと)、摂食障害、脱水症状で倒れ続けた。昨年の欧州遠征は筋肉が収縮する病気に見舞われた。続くW杯ブダペスト大会では筋肉収縮の影響で左臀部(でんぶ)を肉離れ。引退も頭によぎるほど体がボロボロだった昨春、父から受けた「やめるのは簡単。階級を上げ、食べて思い切り練習してみればいい」と助言され、73キロ級挑戦の後押しになった。

 父の激励を胸に秘め、ここ1年間、出身校の筑波大から都内に拠点を変えた。警視庁、国士舘など強豪に顔を出し「孤独な環境に身をおいてたくましくなった」との自信もある。篠原監督に「この階級は彼が軸」と期待された秋本が、12年ロンドン五輪に向けて堅実に突き進む。【藤中栄二】