元巨人打撃コーチで王貞治氏(76)を指導した荒川博氏が4日午後、心不全のため都内の病院で死去した。86歳だった。荒川氏は1953年(昭28)に早大から毎日オリオンズ(現ロッテ)に入団。現役時代は巧打の左打者として活躍し、61年に現役を引退。翌62年から70年までは巨人打撃コーチを務め、王氏に「1本足打法」を授けた。「世界の王」を生み出した名伯楽が逝った。

 突然の訃報だった。荒川氏はこの日、外出先で昼食のソバを食べた後、胸の痛みを訴えた。都内の病院に運ばれ、治療を受けたものの、心不全のため亡くなった。86歳だった。葬儀、告別式の日取りは未定という。

 王氏を「世界の王」へと導いた名コーチだった。巨人の打撃コーチに就任した62年、「王は打つ時に手が動く欠点があり、バランスも悪い。片足で立てば動けないのでは」との判断から、「1本足で打て」と指示した。7月1日の大洋(現DeNA)戦だった。王氏は右足を高く上げた新打法で本塁打を放った。その後、荒川氏が得意の合気道と日本刀を利用して王氏に命じた素振りは、遠征先の宿舎の畳をすり切らして何枚も駄目にした。

 二人三脚で「1本足打法」を磨き上げ、62年に本塁打王へと導いた。ここから「王時代」の幕が上がった。王氏との鍛錬の日々を「ホームランだけでなく3冠王のために1本足で打たせたんだ」と回想していた。

 指導を受けた王氏は、73、74年には3冠王。13年連続で本塁打王を獲得するなど通算868本塁打を放つ「世界の王」を生み出した。王氏は酒宴に参加しても、その後に荒川氏のもとに戻って素振りを繰り返したのは語り草になっている。王氏の前には榎本喜八氏を育て、後には黒江透修氏や末次民夫氏が「荒川道場」に通い、巨人のV9に貢献した。

 出会いは王氏が中学生のころだった。毎日(現ロッテ)の選手だった荒川氏が散歩中に東京・隅田公園の野球場で試合をしている王少年を見かけた。試合後、高校生だと思っていた少年が中学生だったことに、荒川氏は驚いた。王氏は荒川氏の母校、早実に進学。輝かしい物語が誕生した。

 昨年12月に入院したこともあったが、退院後は元気に過ごしていたという。近年は神宮外苑の軟式打撃練習場に姿を見せては、子供たちを教えた。無料奉仕だった。日本ティーボール協会の副会長を務め、野球の底辺拡大にも尽力した。同協会の大会やイベントには顔を出すのが恒例だったが、今夏以降は体調が優れず、不参加だった。神宮で行われる東京6大学リーグで、母校早大の応援をするのが楽しみだった。春のリーグ戦は観戦したものの、秋は応援を見合わせていたという。

 関係者によると、荒川氏は亡くなった4日も、女子ゴルフの上田桃子選手を指導する予定だった。その後は巨人のOB会に出席する予定だったという。まさに、名伯楽を貫く人生だった。

 ◆荒川博(あらかわ・ひろし)1930年(昭5)8月6日、東京都出身。早実時代にエースとして48年春の甲子園に出場。早大を経て53年から61年まで毎日-大毎(現ロッテ)で外野手としてプレー。引退後、62年から70年まで巨人コーチ。73年にヤクルト打撃コーチになり、74~76年途中まで監督。現役時代は9年間通算803試合、2005打数503安打、16本塁打、172打点、打率2割5分1厘。53年オールスター出場。監督通算127勝142敗20分け。左投げ左打ち。