<阪神5-2ソフトバンク>◇6日◇甲子園

 ソフトバンク王監督が、ユニホームの胸のロゴを横に触りながらつぶやいた。「残念だったな。勝ちたかったんだけどね」。そこには深緑色の筆記体で書かれた「HAWKS」の文字があった。「福岡移転20周年および球団創設70周年事業」で着用した、南海時代の復刻ユニホーム。移動バスに乗り込む間際、王監督は何とも複雑な表情でこの日の黒星を悔しんだ。

 交流戦同率首位の座から落ちた。ユニホームは変わっても、中身は勝率5割前後を行き来する「ソフトバンク」だった。同点の8回に2番手ニコースキーが2四球と安打で無死満塁とし、押し出し死球で決勝点を献上。打線も6回無死一塁から柴原が送りバント失敗し、10残塁も記録した。抑え不在に伴う中継ぎ陣の未整備、つなぎの攻撃ができない得点力の低下、とチームのアキレスけんがあらためて浮き彫りになった。

 64年の日本シリーズ以来となった“阪神対南海”の対決に、甲子園は今季最多の4万3522人の観衆動員を記録した。三塁側スタンドには、当時のエース、故杉浦忠氏の夫人が、阪神球団の招待で観戦に訪れていた。王監督も「あれだけの大観衆の前でプレーできるんだから。うちとの試合で、このユニホームだったからね。勝ちたかったんだけど」。試合後は敵地ながら緊急ミーティングも招集し、選手にもこの一戦を落とした気持ちを言葉にした。

 ダイエー時代のユニホームを着用した24日の同カードに続き、復刻ユニホームは2連敗に終わった。阪神の好守にも得点を阻まれたが、王監督はそこにセ・リーグ首位との違いも垣間見た。「勝負ごとはそういうことの連続。気持ちを込めてやるしかない。結果のことはだれにも分からんのだから」。64年のシリーズで、甲子園では3勝1敗の成績を残し、ここで2度目の日本一を決めていた。オールドファンに、その勇姿を思い出させるには、物足りない試合だった。【中村泰三】