数々の大記録をアシストした名人が第一線を退く。ミズノ子会社ミズノテクニクスの嘱託社員で、プロバットマイスター久保田五十一氏(70)が28日、岐阜・養老町の工場で引退報告会を行った。ヤンキース・イチローや松井秀喜氏、中日落合GMら一流選手の木製バットを手掛けて55年。「昨年、20年お世話になった松井選手も引退された。さわやかな会見を見て、自分もそろそろバトンタッチを」と静かに語った。

 年間約200人を担当し、削ったバットは50万本に及ぶ。なかでも鮮明に覚えているのが松井氏との出会いだった。松井氏が初めて同工場を訪れた高3の冬。度重なる素振りでできたタコを見て、久保田氏は感動したという。「できればこの選手の活躍を、ずっとお手伝いしたいと思った」。

 毎オフ、翌年のバットの打ち合わせを重ね、親交は引退まで続いた。現役時代、背番号「55」を背負った松井氏からは、「55年に縁を感じる。久保田さんのバットで打席に立てたことは僕の誇りです」とビデオメッセージが届いた。譲り受けた93年のプロ初本塁打のバットは「大事な宝」だ。

 実は引退は2度目。57歳の時、老眼が原因で早期退職制度に応募した。「落合さんからバットにクレームがついて気づいたんです。視覚的にピークを過ぎていた」。だが若手育成のため慰留され、1カ月で嘱託復帰。あそこで辞めていれば、松井氏の引退やイチローの日米通算4000安打にも関われなかった。

 やっと後継者のめども立った。正式に退職する4月10日には71歳を迎えている。「55年前に受け継いだ技術を、優秀な後輩に渡すことができた。今後は選手の打てる、打てないを心配せず野球観戦を楽しみたい」。匠(たくみ)は55年を振り返り、無邪気に笑った。【鎌田良美】

 ◆久保田五十一(くぼた・いそかず)1943年(昭18)4月6日生まれ、岐阜県養老町出身。高田中卒業後、59年にミズノ入社。一貫してバット削りを担当し、65年ころからプロ担当に。ヤンキース・イチロー、元巨人、ヤンキース松井秀喜氏ら日米の一流選手のバットを手掛けた。03年に厚生労働省「現代の名工」に選ばれ、05年に黄綬褒章受章。野球経験はなし。趣味は釣りと山の散策。