北の湖理事長から1年経たずに、元千代の富士の九重親方が亡くなった。長く取材した同世代の大横綱だっただけに寂しい限りだ。そんな時にまた訃報を聞いた。2、3年前に後楽園ホールで久しぶりに話したのが最後。業界では知られた思い出深い人だった。

 ヨネクラジムの元トレーナー川島利彦さん。7月21日に74歳で亡くなっていた。東京生まれで63年にヨネクラジムがオープンすると間もなく入門。2勝(1KO)1分と現役は短かったが、その後はトレーナーとなった。

 米倉健司会長は明大出身で56年メルボルン五輪代表になり、プロでは2度世界挑戦した。目白のジムはまるで体育学校。練習は1日3回の時間制で、一斉に決まったメニューをこなす。会長が校長。明大の後輩だった松本清司トレーナーが教頭。厳しい2人の下に、明るい兄貴的教官の川島トレーナーがいた。

 柴田国明やガッツ石松らの5人が世界王者が育ったが、何でもこなす縁の下の力持ちだった。03年にはエディ・タウンゼント賞に選ばれた。この賞は藤猛ら世界王者を6人育てたタウンゼント・トレーナーの偉業をたたえて90年に創設。その年に活躍、貢献したトレーナーに贈られた。

 第1回受賞者が松本さんで、川島さんは同じジムから初めて2人目の受賞だった。この年は東洋太平洋3階級制覇のクレージー・キム、日本王者嶋田雄大らを教えていた。現在チーフの嶋田トレーナーの奈央夫人はピアニスト。その師匠の義父が川島さんという縁で知り合った。

 元世界王者の弟子は訃報に驚きつつ、懐かしんだ。大橋秀行会長は「よくミットを持ってもらった。元気のいい人で世話になった」。川島郭志会長は「伊豆合宿最終日にみんなでお願いし、練習を休みにしてもらった。明るい人だった」。ともに感謝を口にした。

 ねじり鉢巻きでミットを持ち、大きな声を出して選手にハッパを掛けていたのを思い出す。松本さんは94年に58歳で亡くなった。川島さんは5年ほど前に引退していた。米倉会長は82歳でいまだ現役だが、この訃報は知らせなかったそうだ。【河合香】