「勝たなきゃ」

 この言葉にはどこか、おびえが含まれている。負けることを恐れ、この時点で心理的に追い詰められている。力を発揮する方が難しい。

 「勝つんだ」

 自分を奮い立たせようという、自己暗示に近い。うまく体中を巡れば、原動力になる。ただ、どこかで負けを恐れていることには違いない。

 「そんな気持ちが強すぎる」と、とある親方が言った。名古屋場所13日目の夜だった。

 数時間前、大関稀勢の里が横綱日馬富士に完敗していた。立ち合いの出足が、まるでなかった。10日目に、松鳳山に立ち合いの変化で敗れた。あれからどこか、変化を怖がっている。この日もそうで、勝ちにいこうとしているからだと、その親方は言った。

 綱とり場所。硬くなるなという方が難しい。それでも、松鳳山に敗れる前はまだ体が動いていた。今までとは違う稀勢の里の姿があった。しかし、敗れてから一変した。続く2日間は平幕相手だから踏ん張れたものの、横綱戦ではごまかしようがなかった。

 勝負事では「勝つ」という意識を捨て去ることは難しい。だが、それがあり過ぎるために負けを恐れて硬くなり、力を発揮できずに終わる。では、どう向き合えばいいのだろうか。

 すると、その親方が魔法の言葉を教えてくれた。

 「勝負する」

 この言葉にはまず、相手との勝負がある。自分の力をぶつける。持てる力で挑む。それすなわち、自分との闘いにもなる。そこには負けることへのおびえはなく、硬さも生まれにくい。

 と、言葉にするのは簡単だが、実際にできるかとなれば容易ではないだろう。ただ、千秋楽で最高の相撲を取り戻して、秋場所(9月11日初日、東京・両国国技館)に綱とりをつなげた。追い詰められたときに、あっさりと負ける以前の「弱さ」は、もうない。ならば次こそは15日間、勝負し続ける稀勢の里を見てみたい。【今村健人】