中村橋之助(51)が京都の30代芸妓(げいぎ)と密会を重ねていたことが分かり、先日、釈明会見を行った。10・11月に父の大名跡「中村芝翫」襲名を控え、脇が甘い大失態だが、今回の騒動で妻でタレントの三田寛子(50)の株が上がっている。

 襲名を前にした騒動と言えば、2001年に10代目を襲名した坂東三津五郎さんを思い出す。三津五郎さんは98年に元フジテレビのアナウンサーと再婚したが、襲名興行の半年前に彼女は家を飛び出し、離婚が成立した。梨園(りえん)の妻は夫を支える大切な存在で、まして襲名という大事業は妻抜きでは考えられないことだった。先輩役者、ひいき筋へのあいさつ回りなどで妻という強力なパートナーが不在となった三津五郎さんは八方塞がりとなり、憔悴(しょうすい)の色も濃かった。三津五郎さん自身、襲名延期を本気で考えたほどだった。

 今回の襲名でも、三田は襲名会見から襲名披露宴など、事あるごとに裏方として夫橋之助や、同じく襲名する3人の子供をサポートした。25年前に歌舞伎界のことをまったく分からない状態で結婚。つらく、悔しい思いを重ねながら、3人の男児を産み育て、梨園の妻としての地位を確立した。夫の背信に、橋之助によると「(三田に)きつくきつく叱られた」という。役者の浮気は「芸の肥やし」と言われたが、週刊文春によると、三田は「うちに『芸の肥やし』はありません」と言ったという。

 現在、三田はひいき筋などに騒動を謝罪して回っている。また、「父を尊敬しています」と話していた3人の子供たちも父の裏切りにショックも大きく、そのケアも三田の大事な役目となる。三田と親交のある薬丸裕英は騒動発覚後に電話で話した時に三田は「神様が私たち夫婦に『もう1回立ち返っていろいろ考えてみなさい』っていう時間だと思っている」と心境を明かしたという。アイドル時代はゆっくりした物言いの天然系だったが、25年の歳月を経て、たくましい妻、母に成長した。【林尚之】