女優樹木希林さんが亡くなった。希林さんは文学座の付属研究所出身で、文学座の大女優だった杉村春子さんの付き人をしていた時期もあったが、テレビドラマなどに出演するようになって、まもなく退団した。その後は舞台に出ることがほとんどなかったため、演劇担当の私は残念ながら、取材する機会はなかった。しかし、父で薩摩琵琶奏者だった中谷襄水さんを取材したことがある。35年以上も前のことだった。

中野の喫茶店で会ったけれど、物静かな、人当たりのいい人だった。1つ1つの質問にも丁寧に答えてくれた。もともと警察官だったが、巡回先の神田でカフェを経営していた清子さんと出会い、結婚し、希林さんが生まれた。襄水さんは警察官をやめて、好きな薩摩琵琶にのめり込んだ。やがて、弟子を取るようになり、薩摩琵琶錦心流の6代目会長にまでなった。

取材では、希林さんの幼い頃の思い出話を聞いた。意外なことに小さい頃は、あまりしゃべらない子だったという。幼稚園に行く時も、仕事をしていた清子さんではなく、襄水さんが乳母車に希林さんを乗せて、送り迎えをしていたという。乳母車でないと嫌がったという。襄水さんは大のチャプリン好きで、希林さんを連れて、よく映画を見に行ったという。映画との縁は父親譲りだった。

そんな襄水さんが、希林さんが女優の道に進むきっかけを作っていた。高校卒業後、薬剤師になろうと思い、薬科大の願書を取っていた。受験を翌月に控えた時、襄水さんは友達のところに遊びに行こうと誘い、そこでスキーをした希林さんは大けがを負い、受験できなくなった。そのため、新聞で文学座の研究生募集の記事を見て、受験した。襄水さんがスキーに誘わなかったら、女優樹木希林が生まれなかったかもしれない。

実は母清子さんは襄水さんと結婚する前に、別々の男性との間に2人の子供を産んでいた。2人が大きくなって、清子さん、襄水さん夫婦の前に現れた時、襄水さんは快く受け入れ、わが子のように家へと招き入れたという。包容力のある人だった。

希林さんも父の手ほどきで琵琶を弾けるが、結局、妹の昌子さんが父の後を継いで琵琶奏者となった。荒井姿水の名前で活躍し、その息子も荒井靖水として活動している。希林さんと襄水さんが1度だけテレビ共演したことがある。希林さんが出演するテレビドラマで、希林さんが義太夫を語る場面で、後ろに控えた襄水さんが琵琶を演奏した。貴重な親子のツーショットだった。

【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)