「永遠の処女」とうたわれた女優原節子(80)が1962年(昭37)、理由を一切明かさず、42歳という絶頂期に日本映画界から突然姿を消した。現在、かつての友人とさえ会うことなく、鎌倉市内で「隠とん生活」を送っている。引退理由は、視力低下、老いた姿をさらさないため、など諸説あるが、撮影中に実兄が目前で事故死した悲劇が、背景にあるという。しかし、真実は今も永遠のなぞの中にある。

  62年の東宝創立30周年記念作品「忠臣蔵・花の巻・雪の巻」(稲垣浩監督)が、女優原節子、42歳の最後の作品だった。その後、多くの出演依頼を断り、公の場にも姿を見せなくなったことから「原節子引退」が事実となった。

 突然の引退にマスコミはさまざまな理由を伝えた。真実は今もなぞのままだが、原の運命を変えたと思われる出来事があった。

 原の義兄熊谷久虎氏が監督を務めた主演映画「白魚」の静岡県御殿場駅ロケの最中のことだった。53年7月10日午後7時30分すぎ、アングルを決めようとプラットホームから線路側に身を乗り出した会田吉男カメラマンに、手前で停止予定だった下り列車が突っ込んだ。原因は連絡ミス。翌日、息を引き取った吉男さんは、原の実兄だった。出番を待っていた原は悲劇の一部始終を見ていた。

 当時、東宝のスチールカメラマンだった秦大三さんは「節ちゃん(原の愛称)は病院まで付き添ったそうです。取り乱し、ものすごく悲しんでいたと聞きました。本当にかわいそうでした」。2人が兄妹ということは撮影所ではあまり知られていなかった。秦さんは「仕事ですから、あえて距離を持っていたのでしょう。もちろん兄妹ですから、陰で支え合っていたと思います」と語る。

 原は悲しみもいえぬ10日後の7月20日に、後に小津安二郎監督の傑作といわれる「東京物語」の撮影に入った。戦死した夫の両親を親身になって面倒をみる嫁を演じた。人間の孤独感や死生観をテーマにした作品だった。原は見事に演じた。

 同映画のプロデューサーの1人だった佐々木孟(はじめ)さん(現松竹テレビ部プロデューサー)は「事故のことはみな知ってましたが、悲しそうなそぶりはまったく見せなかった。内に秘めて演技していたのでしょう……」。撮影助手だった川又昂(たかし)さんは「原さんは事故のことは絶対に口にしなかった。さすがスターだと感心しましたが、逆にそれが痛々しかった」という。

 原はその後、照明のせいか、左目がかすみ、54年1月に順天堂大病院で診察を受けた。白内障と診断され手術した。当時東宝撮影所宣伝部のスタッフだった宇野喜代子さんは「あの事故後、少し節ちゃんが変わったような気がします。何かに耐えているような様子というか。白内障も重なりましたから」。原は当時「私には不幸が向こうからやってくる」と漏らした。

 その言葉を証明するように、映画「愛情の決算」(佐分利信監督)を撮影中の56年3月6日には、父藤之助さんが脳いっ血で死去した。兄同様、映画のロケ中の悲報だった。

 小学校時代、木登りが大好きな活発な少女で、5年生でスポーツ選手、6年生のころには外交官夫人や教師を夢見た。ところが家庭の経済的事情から高等女学校を中退。目標を失いかけたが、2番目の姉光代さんの夫が熊谷監督だったことから、女優を目指した。自分の意思よりも周囲の状況が、会田昌江を原節子にしていった。秦さんは「もしかしたら性格が女優向きじゃなかったのかも。人に見つめられるのが嫌いなのか、撮影所ではいつも走っていた。そんな女優さんはほかにいなかった」。

 肉親の死、「東京物語」での死生観の名演技。視力の衰え……。その中で、原は「原節子」よりも「会田昌江」であることを選んだのではなかったか。結婚歴もなく、美しさを保ったまま姿を消した原に、いつしか「永遠の処女」の呼び名がつき、伝説となった。

 今年12月10日(命日は12日)、鎌倉・円覚寺で小津監督をしのぶ会が営まれた。毎年、原にも招待状が送られているが今年も原の姿はなかった。【松田秀彦】

 

 ◆1962年(昭37)

 堀江謙一さんがヨットで太平洋単独横断成功。東京都人口1000万人突破。巨人の王貞治初めて1本足打法で登場。金田正一投手三振奪3514個の世界新記録樹立。キューバ危機起きる。マリリン・モンローなぞの死。美空ひばりと小林旭結婚(のち離婚)。流行語は「無責任時代」「回転レシーブ」など。日本レコード大賞は「いつでも夢を」(橋幸夫・吉永小百合)。

 

 ◆原節子(はら・せつこ) 本名会田昌江(あいだ・まさえ)1920年(大9)6月17日、横浜市保土ケ谷生まれ。35年(昭10)に日活多摩川撮影所に入社。同年「ためらふ勿れ若人よ」(田口哲監督)でデビューし、芸名は同映画の役名のお節ちゃんが由来。37年日独合作映画「新しき土」で日本人女優として初めて外国映画に出演。戦後は成瀬巳喜男、黒沢明、吉村公三郎、今井正、小津安二郎ら巨匠の作品に出演。特に成瀬監督「めし」、小津監督「晩春」「東京物語」などは高く評価された。51年ブルーリボン賞、毎日映画コンクールの主演女優賞を獲得。未婚。

(2000年12月25日付日刊スポーツから)