10日に膵臓(すいぞう)がんで亡くなったジャーナリスト竹田圭吾さん(享年51)の告別式が16日、東京・築地本願寺で営まれ、放送プロデューサーのデーブ・スペクター、宮根誠司、宮崎美子、中江有里ら約400人が別れを告げた。

 フジテレビ系情報番組で共演したデーブは「最後までテレビに出て他界するなんて信じ難い。明るくて楽しい人でした。いつの間にか竹田さんのファンになる人が大勢いました。竹田さんに教わることは病気は恥ずかしくないということ。やせた姿でテレビに出て、いろんな意見があったけど最後まで出て立派だと思う。いざ、その時がきたら明るく、できるなら仕事を続けるというメッセージがあったと思う」と語った。

 同様に情報番組で共演した中江は「動くのもつらそうなのに仕事に来ていました。仕事にかける思いを感じました。コメンテーターとしては私の指針になる人でした。竹田さんのようになりたいと思っていました。51歳は早い」と語った。

 友人のジャーナリスト津田大介氏(42)が弔辞を読んだ。津田氏は「竹田さんにはニュースメディアは世の中の空気の温度を調整するエアコンという持論があった。報道が過熱したら冷やす。冷めてたらこのニュースは大事だと温める。今日は大勢の人が来ています。竹田さんが調整してきたメディアの空気に心地よさを感じていたからと思います。竹田さんは日本一のエアコンです」と語り、涙を流した。

 棺には、この日のために特別に作られた竹田さんの写真が表紙を飾る「ニューズウイーク日本版」が納められた。日付は亡くなった1月10日付。竹田さんは01年から10年まで同誌の編集長を務めていた。他に、竹田さんが愛用していた洋服から、長男(17)が選んだ青のシャツ、ジャケット、メガネなどが納められたという。