日本を代表するピアニストとして活躍した中村紘子(なかむら・ひろこ)さん(本名・福田紘子=ふくだ・ひろこ)が26日午後10時25分、大腸がんのため東京都内の自宅で死去した。72歳。山梨県出身。葬儀・告別式は近親者で行った。後日お別れの会を開く。喪主は夫で作家の庄司薫(しょうじ・かおる)氏(本名・福田章二=ふくだ・しょうじ)。

 庄司さんは「(中村紘子さんが今月25日の)誕生日を迎える日も、モーツァルトからラフマニノフまで、音色に新しい輝きを与える奏法を試すのだと言って興奮していました。僕もそれを聞きたいと熱望していました。残念です」とのコメントを出した。

 中村さんは幼いころから国内の音楽コンクールで優勝を重ね、1965年にショパン国際ピアノコンクールで日本人初の4位入賞を果たし、最年少者賞も受賞した。国内外で演奏活動を展開して評価を確立した。

 チャイコフスキー国際コンクールやショパン国際ピアノコンクールなど、世界の著名なコンクールの審査員を歴任。体験をつづった著書「チャイコフスキー・コンクール」で大宅壮一ノンフィクション賞を受けるなど、文筆家としても知られたほか、カレーのCMでも親しまれた。94年から15年間にわたり浜松国際ピアノコンクールの審査委員長として活躍した。

 紫綬褒章、日本芸術院賞・恩賜賞。ポーランド共和国文化勲章「グロリア・アルティス」ゴールドメダルを受けた。

 14年2月、腸閉塞(へいそく)の手術で大腸がんが見つかり、15年1月に初期の大腸がんと診断された。その後、抗がん剤治療を受けながら、合間を縫って演奏活動を継続。昨年6月の記者会見では「古いファンの励ましや(聴衆が)待ってくれることが何よりもうれしい」と話していた。

 昨年8月から活動を休止していたが今春、活動を再開、川崎市などでオーケストラと共演。終演後「やっぱり舞台は、私の生きている世界だと思いました」と語っていた。

 ◆中村紘子(なかむら・ひろこ)1944年(昭19)7月25日、山梨県生まれ、東京都育ち。3歳から本格的に音楽を学び、全日本学生音楽コンクール小学生部門、中学生部門優勝。慶応中3年時の59年、日本音楽コンクールで最年少で第1位特賞。翌60年、NHK交響楽団初の世界一周公演のソリストに抜てき。その後、桐朋女子高音楽科を中退、日本人として初の全額奨学金を受け米ニューヨークのジュリアード音楽院に進んだ。08年、紫綬褒章。