フリーの宮根誠司アナウンサー(53)が進行する日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」(月~金曜、午後1時55分)が7月31日で、放送開始から丸10年を迎えた。

 宮根氏は「もう1回(番組を)壊したい」と、スタート当初のドキドキ感を継続したいと話す。

 「もう10年もやっているのか。意識していなかったし、自分自身が一番びっくり。午後2時、一番世の中が動いている時間に事件や事故も速報でぶっ込んで、アドリブで対応したり、10年かけて番組の形ができた。綱渡りの毎日。でも、そのでき上がった番組をもう1回、壊したい。ドキドキを楽しんでいただける番組を続けたい」

 宮根氏はこれまでと、これからを総括。そして、番組司会を恋人関係に置き換えて説明を続けた。

 「とにかく“知ったかぶり”をしない。これを肝に銘じていますが、同時に正体をなるべく見せないようにしよう、と。恋人関係でも『この人、どんな人やろ?』って興味を持って、知りたいから追いかける。僕も番組も、どんな人やろ? って思わせたままの方が、視聴者も見てくれる」

 見えそうで見えない、分かりそうで分からない-。微妙なさじ加減を人間の恋心にたとえて、司会業の極意を明かした。

 「昔も今も予定調和は全くないし、何が起こるか、スタッフも右往左往していますけど、朝日放送時代から生放送しかやってないから。どっちかと言うと、ヒヤヒヤすることが楽しいので」

 宮根氏は87年、大阪・朝日放送(ABC)に入社。94年からは、関西の朝の名物番組「おはよう朝日です」単独司会を務めた。

 「しゃべってたら、朝から(番組キャラクターの朝)おき太君の耳、とれたこともありましたね」

 04年に同局退社後も10年まで同番組を続けた。06年7月31日からは、読売テレビ制作の「-ミヤネ屋」で昼の顔にもなった。

 「-ミヤネ屋」でのトラブルには「いっぱいありすぎて、もう(笑い)。VTRを紹介しても流れず、ずーっと天気の話をしたり、マグネットがつけへんな~? と思うてたら、ベニヤ板やったり! まあ、話し出すと尽きない」と笑う。

 10年間の思い出には、14年6月の米大リーグ・レッドソックスの本拠地で行った始球式を挙げた。

 東京マラソンで目標の「4時間半以内」を達成したごほうびのマウンドだった。「上原投手がキャッチャーをしてくれて、個人的には一番の思い出です」。

 節目を迎え、個人的には平日全曜日の午後帯が拘束される番組を離れ、新たな挑戦をしたいという気持ちも少しは芽生えている。

 「でもね、意外と思われるでしょうけど、一タレントに自由はない。(仕事は)事務所が決めますので」

 今すぐ新境地を求める意向はないようだが「違うジャンルの番組をやりたい気持ちもあるし、ラジオもやってみたいですね」とも話した。