12年5月に100歳で亡くなるまで現役の映画監督として生き続けた、新藤兼人監督。監督を亡くなるまで支え続けた、孫の新藤風監督(40)の新作映画「島々清しゃ」(しまじまかいしゃ)が公開された。05年「転がれ! たま子」以来の監督作を手がけた風監督が、新作に込めたもの、監督復帰までの葛藤、祖父への思いを語った。【取材・構成=村上幸将】

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 「島々清しゃ」とは、人々が沖縄の自然に感謝しながら日々を営む姿を歌った、沖縄の作曲家・普久原恒勇氏が生んだ歌だ。その名曲をもとに、新藤監督が助監督を務めた99年の映画「ナビィの恋」の音楽監督・磯田健一郎氏が脚本を書き上げ、新藤監督に託したことから全てが始まった。

 物語の舞台は、沖縄県の慶留間島。9歳の花島うみ(伊東蒼)は耳が良すぎて、少しでも音が狂うと頭痛を覚える、特殊な音感を持っている。そのことで周囲から変人扱いされている。

 うみは三線(さんしん)の名手・昌栄おじい(金城実)と暮らしている。母さんご(山田真歩)と別れて暮らすのは、自分が母の歌が下手だと言ったせいだと思っている。さんごも、自分は父のおじいのように楽器も出来ず、歌がヘタで、うみと同居する資格がないと那覇で琉球舞踊を学ぶ。

 そんな島に、バイオリニストの北川祐子(安藤サクラ)がコンサートのためにやってくる。バイオリンの音が、うみとおじい、吹奏楽部に入る島の子どもたちの心を動かし、音楽が人々の心をつないでいく。東京から来た祐子も、島の空気に再生していく物語だ。

 ◆島に育まれた人々の再生の映画

 -どのような思いで作っていったのか

 磯田さんの脚本の大事な部分は絶対、動かしたくない、この映画を変えることはしたくないと言いながらも、本を直していく段階で、責任の取れる範囲というか、自分に寄せないと撮れないだろうと。うみが主人公であり、周りの大人たちに自分を投影する形で、人間としての部分をだいぶ、直させていただいた。まず「島々清しゃ」という、生まれ島を思う沖縄の人の日常を歌った歌がある。自分が当たり前に見ていた島は美しいという愛、郷愁や思いを歌った、すがすがしい歌を島の魂として描いています。自分の望みのために、苦しくても真っすぐに必死に手を伸ばす、うみの姿を軸に、周りの大人たちを、一生懸命生きているんだけど、自分の人生を生きていますと言えない、逃げたような存在にすることで、懸命に生きる(うみの)美しさが話の軸になります。「耳ふさいでたら、いつまでも音、合わんさ」いう、うみのセリフが「いつまでも逃げてたら、望みはかなわないよ」と言っているように聞こえて胸に突き刺さってきたんですね。

 -なぜ、セリフが胸に刺さったのか

 祖父は1950年(昭25)に松竹を退社し、独立プロダクションの近代映画協会を作りました。晩年「独立プロをずっとやってきて、どんなに石を投げつけられても、額でつぶてを受け、顔を上げて前に進んできたんです」みたいなことを繰り返し言っていた。その姿が、フッと頭の中に浮かんで…。自分が、どうしても人生から逃げがちな時に、祖父みたいに情熱的に一生懸命に生きる人間になりたいな、という憧れみたいなものがあって。小さなうみが、けなげに苦しくても立ち上がる姿に、映画の軸を置きたいなというのがあったんですね。

 -島の風がスクリーンからにじみ出るような映画

 この間、久しぶりに慶留間諸島に行ったんですけど、あまりの青さに、こんなに青かったっけ? って驚いたのと、島に入った瞬間の空気が、この1年間見続けた映画の空気そのものだったので、映画の中に入っている、帰ったみたいな不思議な感覚を得ました。島にいる時に、深呼吸をしなくても島の空気が自分の中に入ってくると、結構しんどいことがあったり嫌なことがあってウワーッとなった時も、体の中を空気が通って、スッと嫌なことが抜けて、からっぽになって…大事なものだけが残る体感を何回かしたんですね。完成して1年たって、やっと公開までこぎ着けて、映画を見た人が同じように島の空気を感じられる映画になっていたらいいなぁと感じるようになりました。

 -伊東蒼が、とにかくうまい

 もう…本当に、うちの自慢の…って感じですね(笑い)目がコロコロ動く生命力が、とても魅力的で、お芝居は段違いでした。子どもたちに楽器を渡して、1から練習してもらわないといけないというのもあった状況で「湯を沸かすほどの熱い愛」(中野量太監督)の撮影が休みの日にオーディションに来てくれたんです。オーディションの時は、聞き取れないような声で「伊東蒼」ですと言うのに、ちょっとお芝居したら突然、目と表情が生き生きとして全然、変わるんですよね。自分の中に(役を)入れるというか、同化しちゃうタイプなのかな? ザ・子役みたいなキャラクターではなく、子どもらしさもあるし、しっかりしている部分もある。人でいる子…そこがすごく良かった。すごくけなげで、一生懸命で、芯に強いもの、熱いものがあるんだけど、ちょっと出すのが不器用なのに爆発するとすごい。仕事に対し、とっても真摯(しんし)に一生懸命で、芝居は全く心配がない。怖いとか、後ろ向きなことは絶対、言わない。「大丈夫?」って声をかけたら「大丈夫」としか言わないから、なんて声をかけていいか悩みましたね。根性というか…何もかも違いますね。彼女の感受性の強さが、うみとイコールになったのが良かった。

 次回は新藤監督が映画の中で向き合った沖縄の問題と、作品に織り込んだ家族への思いを語る。

 ◆新藤風(しんどう・かぜ)1976年(昭51)11月20日、神奈川県生まれ。日本映画学校在学中の98年、20歳でテレビ東京のドキュメンタリー「人間劇場『おじいちゃん』」で演出デビュー。99年「ナビィの恋」(中江裕司監督)、00年「三文役者」(新藤兼人監督)の助監督をへて、00年にフジテレビ「つんくタウン」のオーディションに合格し、「LOVE/JUICE」で監督デビュー。同作で第51回ベルリン国際映画祭フォーラム部門新人作品賞など受賞。05年「転がれ!たま子」で監督を務めて以後は、祖父兼人監督とともに暮らし、08年「石内尋常高等小学校 花は散れども」の監督健康管理、遺作となった11年「一枚のハガキ」の監督補佐として、12年5月29日に100歳で亡くなるまで支えた。