高度経済成長期の日本列島を笑わせたクレージーキャッツのメンバーとして活躍し、「ガチョーン」などの流行語を生んだタレントで俳優の谷啓(たに・けい)さん(本名・渡部泰雄=わたべ・やすお)が11日午前5時7分、脳挫傷のため東京・三鷹市の杏林大病院で亡くなった。78歳だった。昨年から体調を崩し自宅療養中だったが、10日午後5時50分ごろ、三鷹市内の自宅階段で転倒して顔面を強く打ち、同病院に搬送されていた。葬儀・告別式は密葬で行い、後日、お別れ会を開く。喪主は妻和子(かずこ)さん。

 突然の死だった。谷さんは10日午後5時50分ごろ、三鷹市内の自宅で、1階から2階に階段を上がろうとした際につまずいて転倒。前のめりに倒れて階段に顔面を強打。「バタン」という大きな音がした。それに気づいた家族が倒れている谷さんを発見して119番通報し、病院に搬送された。懸命の治療が行われたが、翌11日午前5時7分、和子夫人ら家族にみとられて息を引き取った。

 この日会見したタレントなべおさみ(71)によると、谷さんは一昨年ほど前から、物忘れがひどくなったという。昨年3月末で、案内役を務めたNHK教育「美の壺」、ナレーターを担当したテレビ東京「完成!ドリームワークス」を降板した。同年6月に佐々木課長役でレギュラー出演していた映画「釣りバカ日誌」シリーズの「釣りバカ日誌20ファイナル」の撮影に参加。エンディングでワンカットだけだったが、共演者たちに支えられ足元もおぼつかない様子だったという。これが最後の仕事になった。

 その後、自宅で療養生活を送っていた。なべは、昨年見舞った際のことを「トロンボーンでドレミを吹けたけど、会って1時間半後に『お前、なべおさみみたいだな』と言われた。そのあと、僕は泣きました」と振り返った。今春見舞うと「谷さんは僕が誰か分からなかった。少年みたくなっていて、表に出るとさっさと逃げ出すので、家族も追いかけるのに大変なようだった」と話した。近所の住民によると、谷さんが自宅近くをフラフラとさまようように歩いている姿が目撃されていたという。

 谷さんは高校時代にトロンボーンを始め、ミュージシャンを目指して中大在学中の53年に「原信夫とシャープス&フラッツ」に参加。芸名を谷啓とした後、「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」を経て、56年にハナ肇さんや植木等さんがいたコミック・バンド、クレージーキャッツに加入。59年に始まった「おとなの漫画」、60年代の人気番組「シャボン玉ホリデー」で植木さんに次ぐ人気者になった。

 よくしゃべる陽性の植木さんに対し、目をパチパチさせて丸顔の谷さんはワンテンポ遅れる。そのとぼけた芸風が持ち味で、口数は少ないが要所で笑いを取って存在感を示した。右手を手前に引いて「ガチョーン」のかけ声とともに右手を閉じるギャグが流行語となり、「ビローン」「谷だぁー」「ムヒョーッ」のギャグを連発した。一連のギャグは谷さんが好きなマージャンをやる時など、普段の会話で口癖のように使っていた擬音的な言葉が起源だった。

 俳優としても映画「クレージー作戦・くたばれ!無責任」など「無責任」シリーズで好演し、「続・図々しい奴」(64年)で主役を務めるなど演技力が高く評価された。70年代以降は「寺内貫太郎一家」「浮浪雲」大河ドラマ「武蔵MUSASHI」などのドラマに出演し、映画「釣りバカ日誌」シリーズやミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」などで名脇役として活躍した。

 温厚な丸顔で誰からも愛された谷さん。ハナさん、植木さん、安田伸さん、石橋エータローさんらクレージーの仲間が待つ天国に旅立ち、残されたメンバーは犬塚弘(81)桜井センリ(80)の2人だけとなった。

 [2010年9月12日8時30分

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