AKB48前田敦子(20)が25日、AKB48からの卒業を表明した。この日、開催された「AKB48コンサート

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 さいたまスーパーアリーナ」公演最終日のラストで、自ら「私、前田敦子は、AKB48を卒業します」と切り出した。秋元康総合プロデューサー(55)らも決定には携わらず、完全に前田個人に託した決断で、卒業時期などは、まったくの未定。第4回AKB48選抜総選挙の開催(6月6日、日本武道館)も決定したが、前田の出馬も未定だ。

 決意を固めてマイクを握っても、すぐには「卒業」の重い二文字を切り出すことができない。前田は、目をつむり平静を保とうとするが、涙が止めどなくあふれ出る。自分の成り立ちを説明して、心を整えようと努める。そして「今日ここで大きな決断をさせてください」と、語気を強めた。約2万5000人は、その気迫に押され押し黙る…。

 「私、前田敦子は、AKB48を卒業します!!」

 会場がどよめく。「コンサート初日に、東京ドームの発表があって、14歳のころから、みんなで見てきた夢が20歳でかなった。とても感動しました。それとともに、20歳の(自分の)夢に向かって動きださなきゃいけないと思いました」。

 「たくさんいる後輩のためにも、私が卒業して歩き出さなければならない」と続けた。後進に道を譲るとともに、新しい道筋を切り開く開拓者になる。不動のセンターにしかできない孤独な選択だった。

 決意の固い眼差しと、もっともな理由…。観客の誰一人、異論を唱えることはできなかった。

 前田の脳裏に卒業がよぎり始めたのは、昨年6月のAKB48選抜総選挙前だった。晩秋のころには、関係者に卒業の意思を明かし始めて、「日本レコード大賞が取れたら、やめてもいい」と考えたときもあった。

 ただ、日刊スポーツ発行の「AKBグループ新聞1月号」のインタビューでは「AKB48の活動の第一線は退く形でも、グループに所属し続ける方法もあるかな」などと話していた。常に胸中は揺れ動いていた。

 その間には、大ファンだった山下敦弘監督の映画「苦役列車」の撮影に参加でき、「本当に幸せ。自分の夢の女優を、もっとやっていきたい」と、具体的な将来像を描くようにもなっていた。

 そして今月に入り、秋元総合プロデューサーと窪田康志オーナーには卒業の意思を明かした。2人からは「最大の功労者の1人なのだから、決断はすべて任せる」と言ってもらった。

 そこからも、最後の最後まで迷い続けたが、東京ドーム公演の決定。24日には、松井珠理奈(15)と渡辺美優紀(18)というエース候補のAKB48加入と、自分が納得できる条件が次々と整っていった。「たくさんの人から止められたけれど、今日ここで皆さんに発表することは、絶対にしようと思って、ここまで(ライブを)やってきました」。グループの新しい未来を確認したAKB48の絶対エースは、ようやく決断に踏み切れた。【瀬津真也】

 ◆前田敦子(まえだ。あつこ)1991年(平3)7月10日、千葉県生まれ。05年にAKB48オープニングメンバーのオーディションに合格。07年に映画「あしたの私のつくり方」で女優デビュー。同年、AKB48としてNHK紅白歌合戦出場。10年には大河ドラマ「龍馬伝」出演。09年に13枚目シングル選抜総選挙で1位、10年の17枚目シングル選抜総選挙では2位、同年の19枚目シングル選抜じゃんけん大会では15位。11年の22枚目シングル選抜総選挙で再び1位に。趣味はよく寝ることと長電話。血液型A。