その瞬間は午後5時半を過ぎたころ、突然やってきた。甘利明・前経済再生担当相が、「週刊文春」に報じられた現金授受疑惑を受けて大臣の電撃辞任を表明した、1月28日の記者会見。取材中、目前で起きている事象を受けて、自分がいる場所の空気が「一変」する雰囲気を肌で感じたのは、久しぶりだった。

 記憶では、12年11月、野田佳彦首相(当時)が安倍晋三自民党総裁(同)との党首討論で、衆院解散を電撃表明して以来ではないかと思う。甘利氏が「大臣の職を辞することを決断した」と言って絶句すると、それまで甘利氏の声とカメラのフラッシュだけが響いていた会見場の緊張感が、「辞任、辞任だ」というざわめきで、一気に破れた。

 会見場に設定された内閣府の会議室は、妙に縦長の部屋だったが、狭くはなかった。それでも、詰めかけた記者やカメラマンの数は普段と比べて格段に多く、部屋には200人近くいたと思う。いすの数は足りず、立ったり、床に座ったままの取材者が、大半。こんな多くの人が集まった会見も、久しぶりだった。

 午後5時に始まった会見は当初、週刊文春が報じた甘利氏や秘書の金銭授受疑惑に関し、弁護士に調査してもらったとする説明が続いた。その中で、甘利氏が50万円を2回、計100万円を受け取っていたことを認めた。政治資金として適切に処理したことも強調したが、国会で野党の追及に金銭授受を完全に否定できなかった経緯を踏まえると、「これで続投するなら、どんな言い訳をするのだろう」と考えた。

 秘書の問題になると、受け取った現金についての生々しい説明が増えた。「誘惑に負けた」「金銭授受や接待の事実は、(秘書も)認めている」。だんだん、「これで続投できるのだろうか」という思いに変わってきた。

 そして「これまで私は、命懸けで取り組んできた。舌がんの病床でもTPP交渉の場でも、この国の未来に思いをはせなかったことは一瞬たりともない」と、自分の思いを話し始めた。次第に言葉に詰まる場面が増え、「恥じることをしていなくても、秘書のせいと責任転嫁することはできない。私の政治家としての生き方、美学に反する」という部分は、カメラのフラッシュの音にかき消されて聞こえず、少し間を置いて発した辞任表明は声を振り絞っていたように聞こえた。

 辞任表明で吹っ切れたのか、選挙で国民の審判を受ける政治家の、「本音」も漏らした。告発した人物が、やりとりを録音したと週刊文春で主張していることに関する質問に、「いい人とだけ付き合っていては選挙に落ちる。さらに間口を広げ、来る者は拒まず、というふうにしないと当選しない」と、開き直ったような言葉もあった。「その中でどう(付き合う相手を)選別するかだ。今回はそれが甘かった」と釈明した。

 約1時間10分の会見が終わると、まるで「辞任表明ショー」を見終わったような気がした。説明と辞任表明がメーンイベント。記者との質疑は、「会見後の所用」を理由に、不完全燃焼の状態で打ち切られた。その後の予定とは、首相動静を見たところ、首相との面会だった。

 「どんな言い訳?」「これで続投?」。感じ続けた自分の気持ちを整理すれば、納得できる結論だった。結局は、このまま言い逃れることができないところに、追い込まれたということなのだろう。

 閣僚在職中にスキャンダルが報じられても、辞めたら本人からの弁明はなかったり、あってもかなり遅れたり、ということが多い。それが、永田町の「説明責任」の実態だったりする。涙をみせたり、ぶっちゃけ話をしたり、政治家というより人間らしい面も見せた、甘利さんのことだ。1時間10分の会見では語られなかったいくつもの「?」について、これから誠実に、説明してくれるだろう。