明治の歌人与謝野鉄幹、晶子夫妻の孫で、重要閣僚を歴任した与謝野馨(よさの・かおる)氏が東京都内の病院で死去したことが24日、分かった。78歳。新党立ち上げで自民党除名、民主党政権での入閣など、波瀾(はらん)万丈の政治家人生。4つのがんと闘い、下咽頭(いんとう)がんで声を失いながら、信念を訴えた。先月末、自民党に復党したばかり。東京1区が地盤で、都議選(7月2日投開票)での支援を期待した自民党には、「弔い選挙」となりそうだ。

 与謝野氏は東大卒業後、中曽根康弘元首相の秘書などを経て、政界入り。3回落選したが、当選10回を重ねた。「みだれ髪」で知られる明治の歌人・与謝野晶子の孫としても知られる。

 政治家人生は波瀾万丈だった。自民党で文相、通産相、官房長官など要職を務めた。麻生太郎財務相が勝利した08年の総裁選に出馬、都知事となった小池百合子氏らと戦った。09年衆院選で自民党が政権を失った後の10年4月、「反民主・非自民」を掲げて、平沼赳夫氏らと新党「たちあがれ日本」を結党。反党行為として自民党を除名された。一方、11年1月、当時の菅直人首相の要請で、菅再改造内閣の目玉閣僚として、経済財政担当相に「一本釣り」。「たちあがれ」を離党して無所属となったが、「変節」と批判も受けた。

 消費税率引き上げに向けた議論を主導。11年6月、消費税率を10年代半ばまでに10%に段階的に引き上げることを柱とした社会保障と税の一体改革の政府・与党案をまとめた。「与謝野案」は安倍政権となった今も、実現していない。その後体調を崩して、一時入院。12年の衆院選に出馬せず、政界を引退した。

 がんと壮絶な闘いも続けた。初当選後に最初の告知を受け、悪性リンパ腫、直腸、前立腺、下咽頭と4つのがんを患ったことを、自著「全身がん政治家」で明かした。政界引退も、下咽頭がんの影響で声が出にくくなったためだ。

 趣味が広く、写真の腕は玄人はだしで、同僚議員の選挙ポスター用写真も撮影した。囲碁では、親交があった小沢一郎氏との公開対局を行い、敗れたことも。パソコンやインターネットにも詳しく、天体観測や釣りにもいそしんだ。1月、自身のホームページで米トランプ政権を「どのように動くか予想しがたい」と指摘。今月1日、4月30日付での自民復党が発表されたばかりだった。

 ◆与謝野馨(よさの・かおる)1938年(昭13)8月22日生まれ。東京都出身。東大卒。76年、衆院旧東京1区で初当選。自民党政権で文相、通産相、官房長官、経済財政担当相などを歴任した。麻生内閣では一時、財務相など経済関連3閣僚を兼務した。菅再改造内閣では、経済財政担当相を担当。政界きっての財政再建論者で、消費税増税派として知られた。13年、旭日大綬章を受章した。