歴史的な一戦の裏側に迫る「G1ヒストリア」。今回は、ナリタブライアンが制した94年有馬記念を振り返る。史上5頭目の3冠馬となった“シャドーロールの怪物”。主戦騎手・南井克巳氏(70)の回想録を掲載する。

94年の有馬記念を制したナリタブライアンと南井騎手
94年の有馬記念を制したナリタブライアンと南井騎手

まさに、王者の走りだった。94年の日本競馬界を席巻したナリタブライアンは、クリスマス開催のグランプリでも躍動した。大逃げのツインターボに20馬身以上リードを許しても慌てない。好位から徐々に進出し、ライスシャワーやサクラチトセオーなど実力馬のマークも振り払う。最後の直線は南井騎手が右からムチを入れて、もうひと伸び。初対決の女帝ヒシアマゾンも寄せ付けず、単勝1・2倍の圧倒的支持に応えた。

 
 

南井氏 あの馬は、注文が付かないから。本当に乗りやすかった。スタートもいいし、どの位置にもつけられるし、引っ掛からないし。楽な馬でした。ただ、有馬は牝馬で強い馬が出てきていたからね。対戦したことがなかったし、負けられないと思っていた。

あれから四半世紀以上の時間が流れ、現役時をリアルタイムで知らない世代も楽しむ「ウマ娘」でも、人気のキャラクターだ。“シャドーロールの怪物”という異名やその圧倒的な走りからか、その紹介文では「無双の走力を誇る、強大で無愛想な一匹狼(おおかみ)。その走りはトレセン学園内で畏怖されており、本人も恐れられている」とされている。南井氏によると素直な馬でもあったといい、ブライアンはそんな利口さも武器に、史上5頭目の3冠馬に輝いた。

南井克巳調教師(2013年9月撮影)
南井克巳調教師(2013年9月撮影)

南井氏とブライアン。出会いは、突然だった。新馬戦を控えた93年夏の函館。管理する大久保正陽師から「キミ、ダービーを勝ったことがあるか?」と聞かれた。

南井氏 ダービーなんて勝った、勝ってないって競馬関係者なら分かるじゃない。それを聞かれて、ないですと言ったら「1頭乗ってみる?」って言われたの。最初からダービーを勝つつもりだったんだろうね。

ただ、デビューして5戦目までは2勝止まり。

南井氏 強いのは強いんだけど、まともに走ってなかった。新馬戦も影を見て止まったり、物見したりして勝ち切れなかった。

変化したのは6戦目の京都3歳S(当時)。鼻先に白い矯正具、あのシャドーロールを着けてからだ。

南井氏 それまで僕はシャドーロールって頭の高い馬につけると思ってたけど違うんだよね。下の物を見る馬につけるの。ブライアンは、下もと(地面)を気にしてたから。すごいね、大久保先生は。そこから勝ちだしてね。

タマモクロスやオグリキャップでG1を数多く制し、豪腕とも称された「騎手南井」だが、ダービーと有馬記念はナリタブライアンでつかんだ1勝だけだ。

南井氏 チャンスをモノにできたってことは、うれしかったね。どんな馬でも「勝て」って言われて、勝てるわけがないもんね。他の人からガーガー言われるのは重荷で、自分で感じるのがプレッシャー。そりゃプレッシャーはあるし、ある程度ないといい仕事はできないから。下手な競馬はできない、とプレッシャーを感じて、勝てるように考えて、努力して、レースで状況に応じた判断をする。それがプロだよね。

29年前、ヒシアマゾンを3馬身差で退けた南井騎手は、左手で力強くガッツポーズし、その手をブライアンの首筋に添えた。重圧をはねのけた“プロ”の姿が、そこにはあった。【木村有三】

94年の有馬記念を制したナリタブライアンと南井騎手
94年の有馬記念を制したナリタブライアンと南井騎手

◆ナリタブライアン 1991年5月3日、北海道新冠町・早田牧場新冠支場生まれ。父ブライアンズタイム、母パシフィカス(母の父ノーザンダンサー)。G1・3勝のビワハヤヒデは半兄。馬主は山路秀則。栗東・大久保正陽厩舎から93年8月函館でデビュー。G1勝利は93年朝日杯3歳S(当時)、94年皐月賞、ダービー、菊花賞、有馬記念。通算21戦12勝(重賞9勝)。総収得賞金10億2691万6000円。98年9月27日、胃破裂のため7歳で死去。

◆南井克巳(みない・かつみ)1953年(昭28)1月17日、愛知県出身。71年に騎手デビューし、28年間の現役生活で通算1527勝。ナリタブライアンでの3冠制覇をはじめG1級16勝、重賞77勝を挙げた。00年に調教師となり、同年ウイングアローのJCダートなど重賞13勝、通算446勝。今年2月に定年のため引退。