1月3日にがんで死去したやしきたかじんさん(享年64)の謎に包まれた、最後の2年間の闘病生活全容が、今日7日発売のノンフィクション本「殉愛」(幻冬舎)で明らかになる。闘病を支えきりながら、これまで沈黙を貫いていた妻の家鋪(やしき)さくらさん(33)の証言などを「永遠の0」や「海賊と呼ばれた男」の人気作家百田尚樹氏(58)がまとめた。

 全てが衝撃の内容だ。「殉愛」は、表に出ていなかった妻さくらさんの証言と、膨大に残されていたたかじんさんの闘病日記、さくらさんの看病日記がもとになった。百田氏は、さくらさんだけでなく、医師団や看護師、テレビスタッフからコンビニ店員までを、計300時間以上もかけて取材し、ほぼ全員を実名でつづった。

 謎に包まれていた再々婚と闘病生活。さくらさんとたかじんさんの1人娘やマネジャーとの確執や、数億円の遺産の行方など、全てが明らかにされた。さくらさんは「彼とのかけがえのない2年間を公にすることへの怖さや迷いもありましたが、百田さんを始め、亡くなってもなおやしきたかじんを慕ってくださる多くの方々に支えられながら、真実をお伝えできる機会に恵まれたことに、心から感謝しています」と話した。いわれなき中傷記事にも耐え続けて、今作に至った。

 同じ大阪のテレビ業界人でも、たかじんさんと百田さんに縁はなかった。ただ、たかじんさんは、闘病中にテレビや著書で百田氏のファンになり「僕の本をだすなら百田で助けてもらう」と願っていた。さくらさんが3月3日の「やしきたかじんをしのぶ会」で、百田氏に話し掛け、故人のメモ書きを見せたことから、執筆につながった。

 食道がん発見の半月前のクリスマスの出会いから、闘病生活をともにする経緯。2年間主治医を務めた久保田啓介医師から「長い間医師をしてきて、これほど献身的に看病した女性を私は見たことがなく、今後も見ることはないでしょう」とまでいわれた闘病の日々。数億円の遺産の大阪市や慈善団体への寄付…。

 ドラマチックにして壮絶な晩年のたかじんさんを知った百田氏はほかの仕事を全て延期し、4月からの半年間を今作に注いできた。多くのヒット作を書いた百田氏が「これは闘病記ではありません。壮絶なる愛の物語。取材中にも何度も泣いたし、書きながらも何度も泣きました。ここまでのめり込んで書いた本はなく、もう2度とこんな本は書けません」と話した。

 世に知られた豪胆な姿はない。愛を知らなかったたかじんさんが、本当の愛を知った741日の真実だ。【瀬津真也】<やしきさんの闘病経緯>

 ◆食道がん発覚

 12年1月16日に発覚。同31日に病名と長期休養を発表。

 ◆手術

 2月5日から東京で治療開始。ステージ3と判明し、抗がん剤治療後の4月9日に摘出手術も、同月19日に再手術。副作用の幻覚症状に苦しむ。

 ◆療養生活

 6月9日に退院しさくらさんと六本木で同居開始も写真誌に撮られ、7月7日に札幌へ転居。東京での抗がん剤治療の副作用で腸閉塞(へいそく)を発症も、11月20日からはハワイで療養生活に。

 ◆一時復帰

 回復して帰国。13年3月21日にテレビ番組に復帰。

 ◆再発

 4月30日に気管支への再発が発覚し5月8日から再休養。東京や大阪で放射線と抗がん剤の治療を再開。さくらさんも突発性難聴で左耳聴力を失う。

 ◆結婚

 7月の札幌から副作用に苦しみ免疫療法に転換。10月5日に大阪で関係者らとさくらさんと64歳の誕生会。同月10日に札幌で結婚もすぐに不調に。

 ◆最期

 12月23日に東京で腹膜は種が発覚。同月30日に遺言書作成。14年1月3日午前1時34分、永眠。