4日午後7時、関西国際空港近くのホテル。中東遠征に出発する日本代表国内組の集合地に、ワゴンタクシーが到着した。新大阪駅から選手たちが相乗りした1台から、真っ先に降り立ったのは、浦和MF柏木陽介(27)だった。

 記者に気付くと「あ、そっちも中東行くの? 何をしに?」といつものように軽口をたたく。そしてしれっとした顔をしたまま、代表スタッフが待つ館内に消えた。よくある選手の代表合流の光景。しかし浦和担当の私にとっては、感慨があった。

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 7月30日午前6時。成田空港近くのホテルの車寄せに、私は立っていた。日本代表が前夜から集合していた宿舎。東アジア杯が行われる中国・武漢への出発の様子を取材するためだ。

 しかし、あまりにも早く着きすぎた。フライトまでは、4時間近くある。当然、選手はまだ現れない。この時間じゃ、ホテル内の喫茶店もやっていないか-。ひとりため息をついたところに、背後から「あれ? 何してんの?」と声をかけられた。

 柏木だった。出待ちのはずが、裏を取られた。苦笑いで「さすがだね」と切り返そうとして、はたと気付いた。スーツはそろいの代表選手用ではなく私物。何より現れるのが早すぎる。

 おそらく真顔になった。言葉にも詰まった。それに気付いた柏木の方から、仕方なく切り出してきた。「まあ、そういうことよ」。出発直前のチーム離脱だった。

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 前夜の甲府戦前半。柏木は内転筋を痛めた。それでもチームの苦戦に、後半30分近くまでプレーを強行した。試合後。交代の理由を聞かれると「話すことじゃない」とこばんだ。おそらく、翌日の代表合流のことが頭にあった。

 体調に関して、ネガティブな情報が流れるのは避けたい。平静を装い、予定通り成田に向かった。しかし待ち受ける代表のメディカルスタッフには、うそはつけなかった。

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 「そんな残念がられてもなあ。たぶん、オレの方が残念やから。オレが一番残念」。そう言い残し、柏木は成田の代表宿舎を後にした。残念だ、と声にしたわけではない。でも確かに残念だった。

 現場につい早く着きすぎたのも、柏木が3年半ぶりに代表に選ばれたことと、無関係ではなかったように思う。1時間後。柏木の代表辞退と、鳥栖MF藤田の招集が発表された。

 東アジア杯。国内組で臨んだ日本代表は、3戦未勝利に終わった。特に大会序盤は、縦パス一辺倒の単調な攻撃が目立った。

 同じく縦への速い攻撃を志向する浦和では、中盤でほぼすべての攻撃に絡む柏木が縦パスと横パスを使い分け、巧みに攻撃の緩急をつける。武漢のピッチに柏木がいれば…。そう思わずにはいられなかった。

 翌日、浦和が練習する大原サッカー場。私は成田の宿舎の時とは違い、思わず「残念だ」と口にした。目の前でランニングシューズの靴ひもをほどく、別メニュー調整後の柏木が顔を上げた。「たられば、はあかんやろ。自分のいない代表については語れないよ」。

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 しかしこの後の柏木は逆に、公の場で「代表で自分ができること」について、明確なイメージを語るようになった。顕著な例を1つ。9月上旬のW杯アジア予選のメンバー発表直前、仙台戦後の取材対応だ。

 先制FK弾に加え、MF武藤の勝ち越し点の起点にもなる活躍をみせた柏木は、多くの報道陣に囲まれた。その中で語った言葉を聞いて、思わずメモをとるペン先に力がこもった。

 「試合運びも考えつつ、守備に体を張って、なおかつパスで攻撃を組み立てる。そういうタイプの選手は、今の代表には少ない。オレは代表でも活躍できる自信があります」。

 ここまではっきりとした自己主張は、プロの世界といえども、なかなかない。自分が何者なのかを伝えたいのか。自分に自分でプレッシャーをかけたいのか。いずれにしても、考えなしにメディアにコメントする柏木ではないと、私は知っている。

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 印象に残る出来事がある。2月3日。春季キャンプ中の野球界からは、節分にちなんだ「つくり写真」が出てくる。豆まきのために監督が鬼のお面をかぶったり、選手が恵方巻きにかぶりついたり。絵柄が目新しいだけに、紙面スペースを大きく取り、他の競技は紙面の片隅に押しやられる。サッカー界も負けられない。勝手にそう思った私は、浦和の広報と相談をした。

 普通の恵方巻ではなく、浦和が今季獲得可能なタイトル数7にちなみ「7貫(冠)寿司」を食べさせよう。前日までにそんなアイデアがまとまったが、さて誰なら応じてくれるのか。すると広報が「この案に共感してくれる選手を探します。人選は一任してもらえませんか」と買って出てくれた。

 節分当日。チームは指宿合宿に向け、鹿児島に飛んだ。その出発直前。羽田空港の一角、広報との待ち合わせ場所で、私は築地の市場で仕入れたすしを手にして時を待っていた。やがて広報が選手を連れて現れた。柏木だった。

 クラブがこれから売り出したいと考えている、若手選手が来るものと予想していた。チームの大黒柱の登場に、正直驚き、戸惑った。そんな私に構うことなく、柏木はいくつか質問を投げかけてきた。なぜこの写真が撮りたいのか、などといった通り一辺倒の質問ではなかった。

 「いつも練習場に来るのがムダに早いけど、あれってなんか意味あんの?」

 「なんで、いつもジャケット着てるの?」

 それぞれについて、自分なりの考えを伝えると、柏木はしばらく考え込んだ。そして「じゃ、やろうか。おー、このすしうまそうやんか」と言うと、7貫のすしの列に勢いよくかぶりつくポーズをとった。

 柏木は今年から浦和担当になったばかりで、えたいの知れない記者である私を、さりげなく観察していたのだ。その上で質問をして情報を補完し、私の人となりを見定めたのだと思う。

 「大事にするのは、1貫1貫(1冠1冠)だけちゃうよ。コメの1粒1粒まで、つまり目の前の試合すべてを大事にするべきってのが、去年優勝を逃して学んだこと」。そういうと、柏木はしきたり通り無言になった。そしてコメ1粒1粒を味わうように、ゆっくりとすしを食べた。

 今年の恵方は西北西。食べ終えた柏木は「こっちの方向には、水原も北京もあるんちゃうん?」と言った。ともにアジア・チャンピオンズリーグの1次リーグで対戦が決まっていたクラブの本拠地だ。最後まで記事のアイデアをパスし続けてくれると、手を振って搭乗ゲートに消えていった。

 オチとしては、翌日の朝刊紙面の主役は野球ではなく、3日に解任を発表された日本代表アギーレ監督だった。柏木の記事、写真のスペースが限られてしまったのは、本当に申し訳なく思うが、私にとっては非常に意味のある取材だった。

 いつでも、誰にでも気軽に取材対応するわけではない。しゃべる意味を考える。しゃべる相手を見定める。そして一度しゃべると決めれば、示唆に富んだコメントを気前よく提供する。それが柏木陽介というプロアスリートだと、私は思っている。

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 9月のW杯予選ではバックアップメンバーどまりだった柏木だが、今回のW杯予選で代表復帰を果たし、東アジア杯の悔しさを晴らすチャンスを得た。

 柏木は言う。「昔は緊張や遠慮とかあったけど、今はそんなことを言ってる年齢じゃない。自信を持って、逆にチームをコントロールするつもりでいく」。

 3年8カ月ぶりの代表だが「まずはチームになじむ」などといった、月並みなことは言わない。人によっては首をかしげるかもしれない。そんなことは分かった上で、柏木は口を開いている。

 時にピッチ外の我々にまで及ぶような視野の広さ、戦局を見定める冷静さ、ピッチを俯瞰(ふかん)する力は、かつての中村俊輔、遠藤保仁を思わせる。労を惜しまず走り回り、球際でも身体を張ることも評価されているが、本質は文字どおりの「司令塔」。いまの代表選手にはないスタイルだ。ハリルホジッチ監督も、それを分かった上で柏木を招集しているのだろう。

 「コントロールしたい」という言葉は、決して上から目線ではなく、自分らしいプレーを貫くという意味だと思う。今後もきっと、柏木の取材対応には、彼なりの哲学が込められている。日本代表で、そして悲願の年間優勝を狙う浦和の戦いの中で、それをしっかりと追っていきたい。【塩畑大輔】