清水は勝たねばならないホームでの一戦だったが、仙台に敗れた。前半4分に右CKから先制点を献上。課題のセットプレーで失点すると、その後は相手のブロックを崩せず、単調な攻撃に終始した。この日、年間15位の新潟が松本に勝利したため、残り3試合を残して16位以下が確定。1993年(平5)のJリーグ創設から23年間J1を死守してきた「オリジナル10」の清水だったが、ついにクラブ史上初となるJ2降格が決まった。

 勝てば残留に最後の望みがつながる一戦だったが、清水はまたしても勝てなかった。前半4分にCKから先制点を献上。今季の課題でもあったセットプレーで失点すると、歯車が狂い始めた。ロングボール主体の単調な攻撃になり、中盤での小気味いいパスワークは皆無。前節松本戦から約2週間かけ準備を進めてきた人とボールが動くスタイルは最後まで出せずに力尽きた。

 田坂和昭監督(44)は「何も言い訳しない。チームに力がなかっただけ」と完敗を認めた。8月に就任して以降、いまだ勝ちがない。この日の敗戦でクラブワーストタイとなるリーグ戦9試合勝ちなしとなった。出場停止だったFW鄭大世(31)の代わりでツートップの一角に入ったFW大前元紀(25)も「大事な試合ということは分かっていた。悔しい」と力なく話した。

 チームは今季、大榎克己前監督(50)のもとで前線からハイプレスをかける戦術を構築。しかし、シーズン序盤にシステムを4バックから3バックに変更すると、8月の監督交代後に、再び4バックに戻した。

 ある主力選手は言う。「他のチームに対抗できる、これが清水のサッカーというものが今年はなかった」。シーズン中に何度も戦い方が変わり、試合ごとにメンバーが変更すれば、安定した試合ができるはずもない。

 この日、年間15位の新潟が勝利したため、3試合を残してクラブ史上初のJ2降格が決定した。リーグ創設から23年間J1の座を死守してきた名門が、ついに陥落した。【神谷亮磨】

 ◆清水エスパルス 1991年(平3)、静岡市(旧清水市)をホームタウンに母体を持たない唯一のクラブとしてJリーグに承認され、清水FCエスパルスとして創部。93年のJリーグ創設から参戦。96年に清水エスパルスに改称。チーム名の「エス(S)」は「サッカー、清水、静岡」の頭文字で「パルス(PULSE)」は英語で心臓の鼓動の意味。96年ナビスコ杯優勝、99年第2ステージ優勝、01年度天皇杯優勝。本拠地はアイスタ。