誰かのために頑張りたい-。そんな尊い思いがあっても、出場機会が約束されるわけではない。プロスポーツの厳しさだ。

 浦和MF梅崎司(29)には、それが身にしみて分かっていた。だからこそ、獲得したPKのキッカーを、誰にも譲るつもりはなかった。

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 25日、梅雨時の湿気でかすかに煙る、夜の埼玉スタジアム。浦和は神戸戦の後半40分、MF柏木が左サイド深くで相手のファウルを誘い、セットプレーのチャンスを得た。

 リードは1点。試合を決める追加点がほしい。キッカーの柏木は、MF阿部がニアに動いて神戸MF三原の注意を引き、後方の梅崎をフリーにしたのを見逃さなかった。

 ゴール前の密集にボールを入れると見せて、ペナルティーエリア外の梅崎にパスを送るトリックプレー。背番号7は「集中して丁寧にミートした」と右足でボールの芯をとらえた。

 枠内に向かう会心の一発は、あわてて戻った三原に、身体を投げ出して止められたかに見えた。

 しかし梅崎は冷静に、相手のハンドをアピールした。西村主審もすぐに、ペナルティースポットを指さし、浦和のPKを宣告した。

 その瞬間、梅崎は両手で自分の胸を指さし「オレが蹴る」と主張した。大事なPKは主将MF阿部が蹴ってきた。エースFW興梠もこの試合2得点で、ハットトリックが懸かっていた。

 しかし梅崎は興梠に、阿部に「オレに任せてくれ」と訴えて回り、理解を得た。ボールをセットすると、大きく息を吐いて、右足を強振。ゴール左上隅の完璧なコースに飛び、ネットに深く突き刺さった。

 貴重な追加点。しかし梅崎の喜び様は、普段のゴール後とは違っていた。ベンチに向かって走ると、周囲を呼び寄せて一列になった。揺り籠ダンス。笑みがはじけた。

 この日午前。梅崎は急きょチーム宿舎から病院に向かい、夫人の出産に立ち会っていた。そして同11時、第2子が誕生していた。

 「ゴールを決めて、ダンスをしたかった。サポーターのみなさんまで一緒にやってくれた。イメージしたことが現実になって、忘れられない1日になった」。

 いかにもうれしそうに、梅崎は振り返った。しかし、この日の歓喜までには「イメージしたことを現実にする」難しさに直面し、悔しさや無力感にさいなまれ続けた1カ月があった。

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 5月29日、アウェー鳥栖戦。梅崎は熊本地震で被災した子供たち100人を、会場に招待していた。

 長崎で生まれ、大分の下部組織で育った。大災害に襲われたふるさと九州のために、自分も何かをしないといけない。思いをめぐらせた末、サッカー選手はサッカーを見てもらうのが一番だという結論に至った。

 熊本の子供たちに、最も足を運んでもらいやすいのは、鳥栖でのアウェー戦。しかし、自分のクラブの主催試合と違い、話を進めるのは容易ではない。

 幸い、鳥栖は理解があった。梅崎の熱意も伝わった。鳥栖GK林との連名という形で、スタジアムに子供たちを招くことができた。

 両クラブの多くのスタッフが、梅崎の思いに共感し、協力してくれた。2クラブ合同での招待は、Jリーグでも過去に例をみないものだった。

 みんなが自分のために動いてくれた。あとは試合で、自分が子供たちに何を見せるか。梅崎は並々ならぬ思いで試合に臨んでいた。

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 しかし現実は厳しかった。ホームの鳥栖は、好調浦和相手に勝ち点1を何としても取りたいと、スコアレスドロー狙いを徹底してきた。

 時に9人が自陣ペナルティーエリア内に入って、守りを固めるだけではない。選手たちは早い時間帯から、プレーが途切れるたびに再開を遅らせた。

 浦和は完全にリズムを崩された。難しい戦況の中、ベンチの梅崎には、最後まで出番がめぐってこなかった。

 ひた向きに走る姿を見てもらって、子供たちに何かを感じてほしい-。そんな思いは、無残にも打ち砕かれた。

 交代カードは1枚残っていた。そのことも悔しさをかき立てた。

 遠征から戻ったのち、梅崎の毎日の過ごし方は変わっていた。

 早出でのランニング。居残りでのシュート練習。全体練習の前後、ひとりで練習する時間が、今まで以上に増えた。

 午後に全体練習があった6月13日も、午前中からクラブハウスに現れた。

 この日、外は1時間当たり5ミリを超える強い雨が降っていた。しかしピッチに出て、黙々と走った。

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 「あんなに悔しい思いをしたことはありません。でも結局、自分が至らないことがすべてだという結論に達しました。守りを固める鳥栖相手のこう着状態を、打破できる存在だと思ってもらえていなかったということです」

 18日のアウェー広島戦直前。広島での前日練習後、梅崎は思いを吐露していた。

 「自分にとって大きな出来事であった分、いろいろなことを気づかせてもらえました。オレはぬるくなってました。甘かった。自分が何とかするという気持ちが足りなかった。だから結果が出ていなかった。それでは、苦しい試合展開を変えられる存在だと思ってもらえないのも、当然のことだと思います」

 思い返せば鳥栖戦の直前、アジアチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦のFCソウル戦でも、反省すべき点があった。

 PK戦。梅崎は6人目のキッカーとして、冷静にPKを決めていた。

 「でも僕は、普通なら勝負がつく5番目以内に蹴らなかった。自分が蹴ると申し出るべきだった。そのことは今も後悔しています」

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 鳥栖戦から1カ月。梅崎に再び大事な試合がめぐってきた。神戸戦。当日の午前中に第2子が誕生した。バースデーゴールと、揺り籠ダンスをプレゼントしたい-。父はそう「イメージ」した。

 先発も濃厚だった。しかし、出産立ち合いのため急きょチームを離れたこともあり、大事をとったスタメンからは外された。

 勝利へ万全を期すという意味では、仕方のない判断だった。梅崎もそれは分かっていた。ただ、鳥栖戦の悔しさを繰り返すつもりはなかった。

 居残りでのシュート練習の中で、豪雨の走り込みの中で、この1カ月間、自分と向き合ってきた。自分は甘い。大事な時こそ、自分で決めにいかないと。

 「途中から出れば、PKを取れる気もしていました。そうなれば、必ず自分から手を挙げて、自分で蹴って決める。FCソウル戦のこともあったので、絶対に蹴ってやろうと思っていました」

 だからこそ後半32分の途中出場直後から、果敢に仕掛け、シュートを狙った。ハンドによるPK獲得は「イメージ」とは違ったが、それでも西村主審の判定とほぼ同時に、蹴らせてほしいと強い主張を始めた。

 揺り籠ダンスが終わった後も、梅崎は埼玉スタジアムの夜空に、何度も拳を突き上げた。

 生まれてきた息子に、ゴールとダンスをプレゼントできた喜びも、もちろんあっただろう。しかしそれ以上の達成感を、喜び様からは見て取ることができた。

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 翌26日、5連戦を終えた浦和は、2日連続のオフに入った。

 しかし、大原サッカー場のピッチには、朝露残る芝の中になぜか足跡が残っていた。

 前夜の試合後、練習場に戻った梅崎が、街灯を頼りにひとりランニングしていた痕跡だった。【塩畑大輔】