10年W杯南アフリカ大会の日本代表FW森本貴幸(25)が今夏、セリエAのカターニアからJ2千葉へ電撃移籍した。日本代表復帰を見据え、7年ぶりの日本に新天地を求めた。千葉のJ1昇格とともに、狙うところは来年6月のW杯ブラジル大会出場。度重なる故障、UAE移籍を経てJ2から再起の道を歩み出した森本に、今の思いを聞いた。

 香川真司との立場が逆転し、3年が過ぎた。森本は09年に日本代表に初招集され、10年W杯メンバーにも選出。出場機会こそなかったが、4年後を目指し、立ち上がったザックジャパンでは当初、得点源として期待された。だが故障もあって、12年5月のアゼルバイジャン戦を最後に森本の名前は代表から消えた。対照的に、10年W杯のサポート選手だった香川は名門マンチェスターUに所属し、今や代表の中心選手となった。

 「あいつ(香川)はあいつ、俺は俺。あの時点であいつの力はものすごいものがあったし、たまたま(10年W杯の)代表から漏れただけ。今、何がどう変わったというのは、あいつと俺の中にはない」

 年は1つ違いで、一緒に遊びに出かけるほどの仲。実力を認めているからこそ、動揺はない。ただ代表復帰へ「クラブで結果を残すことが大事」の思いは強い。そのザックジャパンは1トップの席を争い、柿谷曜一朗(C大阪)豊田陽平(鳥栖)大迫勇也(鹿島)らが競争を繰り広げる。

 「今の自分は言える立場じゃないけど、客観的に見て特徴のあるFWだと思う。(柿谷は)点も取るし、動きもうまい。豊田君もクロスの入りがうまいし、見ていて参考になる」

 冷静にライバルたちを語る言葉には、日本代表への思いがにじんだ。

 東京V時代の04年3月13日の磐田戦、15歳10カ月6日でJ1リーグ戦出場。同年5月5日の市原戦では15歳11カ月28日にしてゴールを決め、ともにJ1最年少記録を樹立した。06年、18歳でカターニアへ移籍。ユースから始め、約4カ月後にトップ昇格するとデビュー戦でゴールを決めた。DFの裏を突く一瞬の判断、ゴールへの嗅覚の良さを生かし、過酷なセリエAで戦った。その自負は強い。

 「学んだというより、自然に身についたこととして、勝負事だし『絶対に負けたくない』という気持ちが強くなりましたね。技術というよりは、そういう面。最初から学ぶつもりはなかった。向こうでやるつもりで欧州へ行ったので」

 自信があった海外挑戦。だが度重なるケガに襲われた。07年に左膝前十字筋断裂、11年に右膝半月板損傷で戦線離脱。リハビリの日々を余儀なくされた。

 「あの頃はサッカーが楽しくなかった。リハビリもつらかったし、親とか友達とか、よく日本に電話していました」

 故障から回復したが出場機会は減少し、ノバラを経て13年1月、半年間のレンタルでUAEのアルナスルへ移籍した。08-09年にカターニアを指揮したゼンガ監督の下で、森本は23試合7得点とセリエAでの自己最高成績を収めた。その恩師から直接声をかけられての決断だ。だが移籍には葛藤があった。

 「自分のプレースタイルを理解してくれるし、ポジティブに考えた。でも代表という意味では正直悩みました。UAEという、どこにあるかも分からないようなリーグだったので(活躍しても)届かなかったのかな。少し遠回りするなとは思った。でも一番必要なのは、試合に出て点をとること。ケガ続きだったし、90分フル出場して走り続けること、試合勘を取り戻すことが大事だと思った」

 事実、アルナスルで13試合6得点と活躍した。それでもザックジャパンから招集されることはなかった。

 今回の日本復帰は一見、挫折のようにも映る。だが森本は「代表に戻るには、国内で活躍したほうが近道」と言い切る。千葉をJ1昇格に導くことで、代表へのアピールにもなるはずという明確な信念があるからだ。昨年9月、10年交際した恋人と結婚した。12年からカターニア、ドバイで同居しており「試合後、プレーに関していろいろ言われます」という筋金入りのサッカー夫婦。女子の名門、日テレの下部組織でプレーした経験を持つという理解ある伴侶を得たことで、サッカーに集中する環境は以前にも増して整った。

 7年間の海外経験を踏まえ「体は大きくなったし、相手の前に入るタイミングは早くなったと思う」。自らの歩みは間違っていなかったという思いは強い。だからこそ、W杯まで残り9カ月。千葉のJ1昇格とともに、日本代表復帰の道はあると考えている。

 「これまでは途中出場だが、これから出場時間が長くなれば自分の真価は出せると思う。そこでしっかり点が取れるように準備していきたい。残り(9試合)でJ1昇格に入り込める勝ち点を取るゴールを取ること。今はそれに尽きる」

 攻撃的なスタイルと容姿から、かつて「和製ロナウド」と呼ばれた。そのすごみは今も、色あせることがない。千葉の命運を握る救世主には、J2の舞台からはい上がる覚悟がある。【取材・構成

 桑原亮】

 ◆森本貴幸(もりもと・たかゆき)1988年(昭63)5月7日、横浜市生まれ。小学4年から東京Vの下部組織に所属し、04年3月に史上最年少でJデビュー。06年に期限付きでセリエA・カターニアに移籍し、翌年完全移籍。12-13年シーズン途中からアルナスル(UAE)にレンタル移籍し期間満了。8月15日に千葉に完全移籍。リーグ戦3試合にいずれも途中出場し無得点。日本代表は10試合3得点。180センチ、79キロ。家族は夫人。

 ◆森本とザックジャパン

 ザッケローニ監督は就任直後に森本を日本のエースに育てる意向を示し、就任決定後初戦の10年9月4日のパラグアイ戦で先発すると、同7日のグアテマラ戦では先発で2得点。存在感を示していた。だが、同12月中旬に右膝半月板の内視鏡手術を受け、主力とみられた11年1月のアジア杯は欠場。手術の事実を知らされていなかったザッケローニ監督は失望感をあらわにした。その後、代表招集の機会も激減。12年5月23日のアゼルバイジャン戦で先発として1年7カ月ぶりに代表戦に出場したが、負傷交代。直後のW杯最終予選3連戦の途中で離脱し、その後は招集されていない。