渡部香生子(18=JSS立石)の世界大会初メダルの陰には、年頃の女子選手に対する繊細な「対処法」があった。女子200メートル個人メドレー決勝で2分8秒45と自らの日本記録を1秒以上も上回るタイムで銀メダルを獲得。15歳でロンドン五輪出場も、直前から不振に陥った。13年5月からシドニー五輪銀メダルの中村真衣らを育てた竹村吉昭コーチ(59)に師事。強制ではなく、同じ目線で指導するコーチのもと、わずか2年で急成長を遂げた。

 ロンドン五輪出場でスーパー高校生と騒がれた3年前の夏。渡部の心はボロボロだった。周囲の注目と期待を背に、心と体のバランスを失っていく。小学2年から指導を受け、育ててもらった麻績(おみ)隆二コーチ(52)との関係も微妙なものになっていた。

 麻績氏 ぼくは小さい頃からの延長で、頭ごなしの対応になる。それが彼女に重荷になったのかも。

 五輪では女子200メートル平泳ぎで準決勝敗退。帰国後も練習には力が入らない。翌13年日本選手権同種目では9~16位決定のB決勝でビリになる。どん底だった。同選手権後の5月。麻績氏は心身ともに最悪な状況に陥った渡部を竹村コーチに託すことを決めた。

 竹村コーチには「苦しい時は頑張っている時。つらい時、しんどい時こそ、笑顔を出そう」と諭された。指導法も上からでなく、同じ目線に立ってくれた。登校前には30分の散歩に付き合ってくれた。合宿では1日3食、一緒に食べる。腹筋、背筋、懸垂なども会話をしながら、一緒に取り組んだ。

 竹村氏 言いたいことを言えるように、腹にためないように、互いにしていかないと。何を考えているか分からないことが、一番きつい。「今日どうしたの」「気分はどう」と。

 竹村コーチは好きなゲーム、歌手のテイラー・スウィフトなど、友人のように話を聞いてくれた。

 竹村氏 相手に合わせた会話をして、自分もさらけ出す。

 コーチへの信頼で心は安定し、練習にも前向きに取り組めた。昨年パンパシとアジア大会の200メートル平泳ぎでは金メダルを獲得。もちろん、どんなに良好な関係でも常に順風満帆なわけではない。繊細な性格。日常でぶつかり合うこともある。そんなときも竹村コーチは辛抱強く、見守ってくれた。

 竹村氏 例えば練習でうまくいかなくて不機嫌になる。そんなときは“できなくてもいいんだと。ただやろうとしようよ”と。頭ごなしに“だめだ、何してんだ”と言っても、あっちを向いてしまう。

 注意するときも、一呼吸置いて、考えてから物を言うようにしているという。

 竹村氏 男子選手には大きい目標を掲げるだけでもいい。ただ女子選手は遠くだけでなくて、足元を照らしてあげないと、何すればいいかわからないところがある。目先の練習の記録、この記録出すためにはこのくらいの練習をしないと。自信を持つためにはどんなことが必要か。こうしたらできるようになるねと。

 世界選手権前も危機はあった。6月からフランス、スペインでの合宿を経て開催地のロシアに入った。初の長期の海外生活。当初は先の見えない不安から「自信がない」とうつむいた。6月下旬のフランス・カネ合宿。竹村コーチから「休もう」と言われ、浜辺に連れていかれた。「先ばかりを考えず、1つずつやろう。悪いように考えても、結果的にどうなるかわからない。良い方に考えた方が得だよ」と「恋人気分で話した」と竹村コーチ。落ち着きを取り戻し、練習タイムも尻上がりに良くなった。

 決勝前、竹村コーチから「足がちぎれてもいいから頑張ってこい」と気合を入れられた。死に物狂いで泳いだ結果、最下位から逆転の銀メダル。レース後、喜びの涙を流した後「これまでの自分の考え方から変えてくれて、感謝している。これからも一緒に頑張っていきたい」。師弟の固い絆が、18歳の快挙を生んだ。【田口潤】

 ◆渡部香生子(わたなべ・かなこ)1996年(平8)11月15日、東京都葛飾区生まれ。4歳から水泳を始める。中学3年の11年ジャパンオープンで100、200メートル平泳ぎの2冠を獲得。12年日本選手権200メートル平泳ぎで2位に入り、ロンドン五輪代表。ロンドン五輪は準決勝敗退。13年世界選手権は200メートル個人メドレーで準決勝敗退。100メートル平泳ぎで予選落ち。昨年パンパシとアジア大会の200メートル平泳ぎで金メダル。早大1年。166センチ、58キロ。

 ◆竹村吉昭(たけむら・よしあき)1955年(昭30)8月28日、京都市生まれ。鴨沂高時代はサッカー部。大体大時代はスキー同好会。79年JSSに入社してから水泳に出会う。00年シドニー五輪女子100メートル背泳ぎ銀メダルの中村真衣、08年北京五輪代表の種田恵らの指導を行う。13年5月から渡部香生子を指導。