19日まで韓国・江陵で開催されたフィギュアスケートの4大陸選手権で男子シングルの上位者がみせた熾烈(しれつ)な争いは、想像を絶するものだった。「異次元」「新時代」。キャッチフレーズはさまざまでも、4回転ジャンプの急速な進歩は、見る者だけでなく、競技者にとっても、予測をどんどんと超えていく。

 フリーで4回転4本を自身初成功させた羽生結弦(22=ANA)が、「4回転を跳ぶか跳ばないかは個性」と見解を述べていたのは15年NHK杯のこと。ショートプログラム(SP)での4回転の本数をトーループとサルコーの2つにした大会で、当時は2種類の4回転を跳ぶことが最高レベル。その先駆的存在として必要性について質問を受けた。「トリプルアクセルをきちんと決めて加点、完成度を高めるのも1つ」と、決して4回転だけが勝負の境目ではないと見ていた。

 それからわずか1年半。4大陸選手権ではフリーで4回転5本という驚異的なレベルで優勝したネーサン・チェン(17=米国)を始め、上位は3種類以上の4回転を携えていた。もはや4回転以外の完成度を高めて、1つのプログラムをパッケージとして高得点に結びつける時代ではなくなった。2種類の4回転は最低限で、3種類以上がないと勝負できない。

 データ面でもそれを裏付ける。出場選手の4回転の平均本数(認定されたものを算出)を見ると、明らかな底上げが見て取れる。14年ソチ五輪ではSPが0・59本、フリーが0・96本。15年世界選手権ではSP0・50本、フリー0・79本とむしろ下降したにもかかわらず、その1年後の16年世界選手権ではSP1・00本、フリー1・21本とともに1本以上となる。昨年末の16年GPファイナルではSP1・50本、フリー2・66本と跳ね上がる。GPシリーズの上位6人で争うゆえに必然的に平均値も上がるが、おそらく3月の世界選手権でも増加傾向に拍車が掛かるだろう。

 そもそも、4回転の成功者には「10年周期」の法則があった。ISUの承認条件を満たした大会での成功は、トーループは88年世界選手権のブラウニング(米国)、サルコーは98年ジュニアGPファイナルのゲーベル(米国)、ルッツは11年コロラドスプリングズ選手権のムロズ(米国)と続いた。その間はおよそ10年だったのだが、ここにも一気の進歩が訪れる。16年4月に宇野昌磨がフリップを成功させて法則を揺るがすと、羽生は同年10月にループを成功させた。そして、その成功者は単独の開拓者ではなく、あとに続く若者たちを従えた。その筆頭がチェンだった。

 「僕には追うべきものがたくさんあって、もっとレベルアップできるんだって感じる試合だった」。4大陸選手権でチェンに敗れ銀メダルに終わったが、羽生は穏やかな笑みで試合を振り返った。その言葉はむしろ、これまでは羽生以外の選手のものだっただろう。ソチ五輪の金メダリストが4回転の「壁」を壊し続けてきたからこそ、1人の突破者の跡に可能性は生まれた。平昌五輪まで残りは1年。どこまで4回転の地平は広がっていくだろうか。【阿部健吾、高場泉穂】