東京6大学の明大で監督、総監督を務めた別府隆彦氏が25日午後、間質性肺炎のため都内の病院で逝去した。84歳だった。11月27日に行われた同大野球部100周年記念式典には出席していたが、関係者によると、今月17日ごろから高熱を発するなど体調を崩し、入院していたという。

 別府氏は、「御大」と呼ばれた故島岡吉郎氏が病に倒れた後、88年11月に監督に就任。リーグ優勝を4度果たし、川上憲伸投手(現ブレーブス傘下2Aミシシッピ)擁した95年の明治神宮大会では日本一となった。監督時代には川上のほか、ソフトバンク鳥越内野守備走塁コーチ、野村克也楽天名誉監督の息子の巨人野村2軍バッテリーコーチ、中日小笠原など、のちのプロ選手を数多く指導した。

 また、就任直後の89年、東京6大学野球史上初の女子マネジャーを採用。95年秋の東大戦では、リーグ初の女子選手、米国人のジョディ・ハーラー投手を登板させるなど、大学球界に数々の新風を吹き込んだ。95年に勇退し、翌96年からは総監督に就任。だが04年、当時ドラフトの目玉だった一場(現ヤクルト)が巨人、横浜、阪神から金銭を授受していたことが発覚。日本学生野球憲章に抵触する違反行為は、当時「裏金問題」として世間を騒がせた。そんなプロ側の不祥事にも、別府氏は責任を感じて辞任した。

 なお、葬儀の日程は未定。