亡き父の教えが礎を築いた。父・久さんは元力士。「谷嵐」のしこ名で活躍し、最高位は西前頭4枚目。幕内通算46勝59敗の成績を残した。次男として生まれた山口俊も小学生の時は毎日四股を100回、股割りもこなした。だが、父と異なる野球の道を歩んだ。「父も野球が好きでした。プロ野球選手の夢を僕に託してくれたから、野球をやらせてくれたんだと思う」と理由を振り返る。キャッチボールの相手はいつも父。全力投球を大きな手で受け止めてくれた。でも、中学生の時「もう球が速くて捕れん」と言われた。「それからキャッチボールをしてくれなくなりましたね(笑い)」。父の漏らした弱音は、成長の証しだった。

 今でも心に残る言葉がある。「『常に謙虚に』とよく言っていた。あいさつや礼儀には厳しかったですね」。久さんは10年に58歳で他界。時はたち、自らが2人の子を育てる父となった今、思うことがある。「『ごめんなさい』『ありがとう』を言える子に育ってほしいですし、育てなきゃいけないと思う。人生いい時も悪い時もある。常に感謝の気持ちを持って、礼儀を持った人になってほしい」。一人前に子どもを育て上げることが責任だと自覚している。

 17日は父の日。プロ3年目に時計を贈った。「当時の自分ができる範囲で最大限のもの。父も喜んでずっとつけてくれたので、うれしかったです」。プロ13年目。父の通算勝利数まであと1勝と迫った。【巨人担当=桑原幹久】