球友のためにも、最後まで諦めない。オリックスから戦力外通告を受けた佐藤優悟外野手(24)は、新天地からの「声」を待つ。

「僕は戦力外になってしまったんですけど、まだまだ元気に野球ができる。僕なんか、あいつに比べたら…」

脳裏をよぎるのは、今季限りで現役を引退した西浦颯大外野手(22)だ。西浦は昨年11月、国指定の難病「両側特発性大腿骨頭壊死(だいたいこっとうえし)症」を公表。血流が低下して壊死(えし)状態となり股関節機能が低下する病気で、昨年12月に左太もも、今年2月に右太ももの手術を受けた。22年での競技復帰を目指し続けたが、今オフに現役を引退。2学年下の友から、佐藤優は愛用グラブを手渡されていた。

昨年12月、西浦が入院する直前に「闘病生活で野球ができないから、このグラブ託します」と佐藤優は黒色グラブを受け取った。

「今年ずっと西浦のグラブでプレーしていました。あいつは、やりたくても野球ができなくなった。僕は…幸せなんだなと。あいつの分も背負って、死ぬ気でやるだけです」

佐藤優は19年育成ドラフト7位で仙台大からオリックスに入団。プロ1年目の昨季は2軍で35試合に出場し、59打数14安打の打率2割3分7厘。プロ2年目の今季は30試合に出場し、29打数7安打の打率2割4分1厘を記録した。「自分の中では手応えをつかみかけているんです…」と正直に話すように、今秋のみやざきフェニックス・リーグでは、打撃が一気に開花。期間中は28打数10安打の打率3割5分7厘と、結果を残した。

30歳で覚醒した杉本に憧れる。「ラオウさんと(春季)キャンプで一緒に練習させてもらったときです。逆方向に打つ意識でセンターに強い打球が飛ぶ。ラオウさんは去年の途中から1軍に上がって、ガンガン打っていた。その意識で『引っ張れる内角の球はガツンといく』と」。打席で強気を保つ先輩に勇気をもらった。「僕、悪い癖があったんです。(新人年は)どうしても結果が欲しくて、当てにいく打撃だった。(今は)2ストライクまでは強いスイングで思い切り」と自身を言い聞かせる。「ラオウさん、1軍で活躍して、自分のことで大変だったのに、打撃動画を送るとアドバイスをしてくれたり…。その支えで、めげずに頑張れました」。

心の支えは指揮官の「愛ある一言」にもあった。今年の8月上旬。東京五輪でペナントレースが中断している期間、灼熱(しゃくねつ)の大阪・舞洲で佐藤優は中嶋監督と二人三脚でティー打撃を行っていた。「上半身が強すぎる。下半身で力を伝えよう」と、右足を30センチほどの高さに固定し、浮かせた状態で強振。かごのボールがなくなると、2人で拾い直す。汗のしぶきで、グラウンドに跡ができるほどバットを振った。

直後の試合で阪神藤浪から本塁打を放ち、育成試合では今季6本塁打。成長の跡がうかがえた。

「中嶋監督には、本当にお世話になったので…」

声を震わせて、また思い出した。「去年、監督がまだ2軍の監督だった頃、僕が試合でミスをして、試合後のミーティングで怒られたんです。僕は一、三塁の三塁走者で、一塁ランナーが盗塁してる隙にホームに突入できなくて…。一瞬、ちゅうちょしたんです」。

肩を落として、寮内の風呂場に向かった。「そのタイミングで、中嶋監督がお風呂から出てこられたので、お疲れさまですと言ったら…」

「なに暗い顔してんだ!」

「ミスは誰にでもあるから、引きずるな」

「お前の良いところは明るく元気な性格だろ?」

「落ち込んでも次につながらないだろ? お前のいいところはそこだろう」

「サウナに入って、嫌なこと全部流しきって、明日からまた元気な姿でグラウンドに入ってこいよ」

その直後、佐藤優はシャワーで洗顔しながら、目を潤わせた。「僕、そのとき本気で感動してしまって…。もっと頑張ろうってスイッチが入りました」

今後は12球団合同トライアウトを受験する方向。色は変わっても、ユニホームを着られる環境をつかみ取る決意だ。「寅威さん(伏見)、ラオウさん(杉本)、駿太さん(後藤)…。この2年間、本当に先輩方に恵まれました。『優悟は、腐るタイプじゃねぇだろ!』って励ましてくれて…」。ベンチでは常に「みんなが奮起できるのなら」と大声を張った。佐藤優の叫びは、吉報に結びつくはずだ。【オリックス担当=真柴健】