5月に現役を引退した上原浩治投手(44)の「外せない試合」を振り返る。

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レッドソックスの本拠地フェンウェイパーク5階の記者席には、今も当時の地元紙1面が額縁入りで飾られている。2013年ワールドシリーズ(WS)。世界一を決めた瞬間、上原浩治が人さし指を突き上げ、デビッド・ロス捕手に抱き上げられている光景は、レッドソックスの輝かしい歴史の1ページとして、確かに刻まれていた。

13年10月、ワールドシリーズ第6戦で世界一を決め、捕手デビッド・ロスと抱き合い1番ポーズをするレッドソックス上原浩治
13年10月、ワールドシリーズ第6戦で世界一を決め、捕手デビッド・ロスと抱き合い1番ポーズをするレッドソックス上原浩治

同年はポストシーズン(PS)を含め、メジャー最多となる86試合に登板。前年最下位だったレッドソックスの快進撃を支えた上原は、主砲オルティスと並ぶ世界一の立役者だった。「長かったです。やっと休めます」。優勝決定後は、達成感と脱力感に包まれた。当時38歳。間違いなく野球人生で最高の瞬間だった。

光の裏には影もあった。2年前の11年。上原はやり場のない屈辱感にさいなまれながら、最後の光景を目に焼き付けていた。

トレード期限直前の同年7月30日。オリオールズからレンジャーズへ移籍した。レンジャーズにとってPSを勝ち抜く切り札だった。公式戦中の上原は「転校生みたい」と戸惑いつつも、セットアッパーとして活躍。地区優勝に貢献した。だが、プレーオフでは調子が急落。地区シリーズ、リーグ優勝決定シリーズでは登板した全3試合で失点し、WSでは登録枠から外れた。「悔しい。ベンチからファンとして見るしかない」。

そのWSでレンジャーズは、第6戦で世界一まであと1死までこぎつけながら敗れ、第7戦で力尽きた。「正直、しんどいシーズンでした。必要とされて来たのに、まったく貢献できなくて申し訳なく思います」。笑顔なきままシーズンを終え、再び持ち前の反骨心が頭をもたげていた。

13年は地味な立場からスタートした。レッドソックス移籍1年目。開幕後は試合中盤の中継ぎが役割だった。その後、クローザーが安定感を欠き、上原に声が掛かったのは6月下旬。「指名順位」としては4人目だった。その後、27試合、30回1/3連続無失点などの快記録を達成。トレードマークとなった「全力ハイファイブ」が地元ファンの人気を集め、いつしか本拠地での9回には「Koji」コールがわき起こるようになっていた。

「雑草魂」のフレーズ通り、上原ほどメジャーでもアップダウンを繰り返した選手は珍しい。裏を返せば、幾多の故障を抱え、何度ダウンしても必ず立ち上がってきた。悔しさこそ原動力だった。

11年WSでベンチから歓喜の輪を目に焼き付けたカージナルスと、偶然にも2年後のWSで対戦した。その結果が世界一。上原の屈辱感を晴らすために用意された舞台のようでもあった。(敬称略、この項おわり)【四竈衛】